なんかこう、知識(情報)のパッケージがあって、それをゲッチュすれば自分の知識になる(=学べる)と思ってる人が多いじゃない。
学ぶってのは、そういうことじゃないんだよね。
↑4年前の記事だけど…
私の「学び」に対するイメージは、脳(認知能力、学習能力)のメカニズムに沿った捉え方に近いみたい。
さて冒頭の本、学びを「認知的変化」と捉えて、それがどんなふうに起こるのか?どういうメカニズムなのか?を探る内容。
認知ってのは、気付き方、自覚の仕方、わかり方、ものの見方、世界と自分の関係をどう捉えるかってこと。それが変わるってことは、ビフォアとアフターでワタシと世界の関係性(世界の見え方、捉え方、感じ方)が別物になってるってこと。
ポイントは、その変化のプロセスは「無意識」のうちに起こるってこと。
変化したこと、何かを学んだってことは、あとになってわかるけど、変化のさなかに自分の中で何が起こってるのかは自覚できない。
認知的な変化が無意識のうちに起こる、その仕組みを「創発」というキーワードで見てみよう、ってのが本書の内容らしい。(まだ読んでないけど、「はじめに」でそう案内されている)
「創発」とはなんぞや?
それは「還元不可能」で「意図せずして起こる」もののこと。
還元不可能ってのは、要素に分解してそれぞれを一生懸命調べても、そのもの自体を理解することはできないよってこと。全体は部分の集合じゃない。
例えば水素と酸素の性質をそれぞれ一生懸命調べても、水の性質について知ることはできない。塩と小麦粉と卵の性質をそれぞれに調べても、パンがどんな食べ物かわかりようがない。
認知的変化(学び)が起こったとき、その変化がどうやって生まれたのかは、元になる要素や素材をいくら調べてもわからない。
それにその変化は、こんなふうに変化させよう、と意図して起こるもんじゃないし、誰かや何かが設計できるものでもない。創発はコントロールして起こせるもんじゃない。
「はじめに」のここまで読んで、この「還元不可能性」と「意図の不在」ってキーワードが気に入った!
これね、ホロスコープ読むときもダイジなキーワードなんでないかな。
だって、『ワタシらしさ』がまさにそうじゃない?
太陽がなんだ、月が、水星がなんだ、って説明を「足し合わせて」その人が説明できるわけじゃないでしょ。
その人らしさってのは、「要素に還元できない」もの。その人らしさはその人の「全体」にあるんだから。
だからパラメータ的な読み方はナンセンスだと思う。リーディングの練習としてパラメータの把握(各項目の示す意味の理解)は必要だけど。
そして「意図の不在」。
ワタシらしさはなにか(例えば星の配置)にコントロールされるもんじゃなければ、自分単体で成立するもんでもない。
同じニンゲンの同じふるまいであっても、他者や環境との関係性、舞台が変わればワタシらしさの描かれ方は変わる。
「側面」を足し合わせれば「全体」が見えるだろうって考えは、はなはだ浅はかだってこと。要素と要素は足し算でも掛け算でもなく、どんな計算式に放り込まれてるのかは伺いしれないブラックボックスを通過して飛び出すんだから。