「待つ」7ハウス

シンクロだの偶然の連続だの引き寄せなんだのって感動はいちいち言うとね、なんだか「わたしスゴイ」になっちゃうよね。それはわたしがスゴイんじゃなくて、私とその人とその間にある偶然全体を含めた世界そのものがスゴイわけであって。わたしとかあなたとか、個人に「スゴイ」能力があるかのように勘違いされるのも困る。

 

 

と、くどくど言い訳がましいことを書いてから、

ちょうど先日届いた図書館の本が、ちょうど読んでいたホロスコープのなかに強調されていたキーワードに訴える内容だった、って感動を書きたい。(笑)

 

それにしても、偶然というか必然というか、私はプロジェクトを通してほんっとオモシロイ体験をさせてもらってます。

 

コミュニケーションは一方通行じゃ成立しない

「聴く」ことの力

「聴く」ことの力

 

 大阪大学の総長、哲学者の鷲田先生。都市と野生の思考(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)を読んで「す、す、ステキ!!!」ってなった人。

 

哲学といえば、考えたことを主張する(話す)ことに主軸を置かれがちなんだけど、話す行為ってのは一方通行じゃないでしょ。話す、という行為が成立するためには、聴く行為が必要不可欠

 

しかし、語ることがまことのことばを封じ込める、ということがないだろうか。
まことの言葉を知るためにこそ、わたしたちは語ること以上に、聴くことを学ばねばならないということはないだろうか。

 

「聞く」と「聴く」の違いを金八先生みたいに熱く解説する必要はないと思うけど、ここでダイジなのは「聴く」ことなんだと思う。学ぶ必要があるってことは、私たちは人のハナシを「聴く」ことがあんまり上手くできてないんだぞってこと。

 

 

「哲学」をシンプルに「コミュニケーション」に置き換えてもいい。

7ハウス。

人間関係をうまくやってのけるコミュ力ってやつも、「いかにうまく話すか」ってことに注目されがちなんだけど、そうじゃーない。

 

この本では「沈黙とコトバの折り合い」と表現されていたけど、沈黙がコトバをより厚くするという感覚が忘れられている現代社会。

kotokotoba.hateblo.jp

 

個人的な経験が折り重なって絞り出されたコトバには、重さがある。なにかに「ふれる」質感(肌ざわり)がある。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

私たちが今失いかけているのは語り合いではなく黙りあいではないか

 

「待つ」ことで関係性をつくりだす

ここで学ぶべきだと提案されている「聴くこと」ってのは、「待つこと」に近い。相手の言葉を待つ行為。他者から発せられた微かな声を、声が消えた後も慈しむ行為。それをこの本では「祈り」に例えられている部分が好きなんだ。

 

ことばは、聴くひとの「祈り」そのものであるような耳を俟(ま)ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。

 

そこにやっと、コトバを通した「関係性」がある。それが、7ハウス。

ただ意味や情報を交換するだけじゃなくてね。それは3ハウス。

 

こんな7ハウスの世界観をもつホロスコープだったんだ。Yさんのホロスコープが。それでどうしてもこの記事を書きたくて。

 

苦しみがそれをとおして現れ出てくるような《聴くことの力》、それは、聴くもののことばそのものというより、ことばの身ぶりのなかに、声のなかに、祈るような沈黙のなかに、おそらくはあるのだろう。その意味で、苦しみの「語り」というのは語る人の行為であるとともに聴くひとの行為でもあるのだ。

 

コトバにならぬコトバに耳を傾ける。待つ

待つことで初めて出会うコトバがあって、ふれあえる他者がいて、立ち上がる関係性がある。

 

風エレメントの言葉

もともと7ハウスってのは天秤座のフィールドで、デフォルトのコミュニケーションってのは「風」をベースに成り立たせるもんなんだよね。風は、タロットでいうソード(剣)。切り分けるモノ。理(ことわり=言割り)。

 

割り切れるもの=分かるもの、理解できるものが「風」の扱うものなんだけど、それをどんどん精密に分けて行って、もっともっと本質を見たいと願うことで(8ハウス)限界にぶち当たったとき(冥王星)、その言葉にならない言葉から絞り出されたコトバには、誰のものともちがう重量と質量と光がある(獅子座の太陽)。

↑()内に書いたのは、Yさんのホロスコープを思い浮かべた部分

 

7ハウスインターセプト

さてさてここで私のことなんだけど、私のホロスコープは7ハウス起点(Dsc)が双子座で蟹座のインターセプトなんだ。だから、7ハウス(私にとっての他者、人間関係)は、最初の段階では「情報交換の相手」でしかないわけ。そこで放っておいてもいいんだけど、その中に蟹座的要素を7ハウスに活かしていくという道も隠れるってこと。蟹座はね、心の波長を相手に合わせるコミュニケーションだよ。

 

7ハウスひとつとっても、どのやり方が良いとかカッコイイとか正しいとか、そういうのんはないんだなー、と改めて思ったの。Yさんの例で言えば、「蟹座を超えて獅子座的7ハウスに向かう」ことを意識させられるホロスコープだし、私はというと(自主的に意識を向けることはなさそうだけど)「双子座を超えて蟹座的7ハウス」の可能性を秘めている。

 

おもしろいなぁ。。

 

「聴く」という「祈り」

「祈り」と言えば、私にとって【宇宙からのギフトを読み解くプロジェクト】は「祈り」。そうか、ホロスコープを「聴いて」いたのか、と納得。

 

星読みは「歌」だと思ってたけど、歌い手であると同時に聴き手でもあるのか。

 

「分かんなくてもいいけど、とにかく、わたしたちは、聴いてる人に自分たちの歌を届けようとは思ってないわけ。

ましてやメッセージを押し付けようとも思わないし。

絵描きの絵とかも一緒じゃない?

テーマとか意味とか質問するのに意味はないのよ。

かといって伝えたいことがないわけじゃなくてね。

隕石としか言いようがないけど。

わたしたちの歌は、空からでっかい意志を運んでくるわけ。

聴いてる人の胸にその隕石をぶつけるの」

 

starship.hateblo.jp

 

 それも先月ブログで書いた「星明かり」のカードのハナシにも繋がってきて。

starship.hateblo.jp

これまたYさんのホロスコープリーディングにも繋がっててね、すごいなぁ・・・としか思えない。 ほんとね、新しいホロスコープに出会うたびに「あ、今までの人生で拾ってきたアレとコレとソレって、全部今目の前にあるこの人の、このギフト開封のためにあったのか」って思える。大げさじゃなく。

 

ま、「縁」ってそんなもんなんだろうね。

ただ単に「縁」の通り道に出くわしたってだけ。物語のなかのたった一行のラインに、交差したってだけ

 

あ、こんなハナシをしたことがあった。思い出した。

sonogono.jugem.jp

それでこのブログを書いたんだ。2011年。

 


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