来週の満月図をもとに、noteで好き勝手書いてます。
私の占星術は、「占い」じゃなくて「大喜利」ですので。いかに役に立たせるか、ではなく「いかに役に立たないことを楽しめるか」の方向にフル稼働エンジンで突き進んでおります。
結果的に、自分を救うのは寄り道先で拾った小石やガラクタだってこと、往々にしてあるでしょ。これが私の、私なりのSOSに対する答え。今のところ。
大真面目にふざけた、鎮魂タマシズメと魂振タマフリの祭祀なんですわ。私の占星術。
Save Our Ships
わたしたちの船を救って
Save Our Souls
わたしたちのタマシイを救って
そいで今回の記事は、上のnoteでちらっと紹介した田坂広志せんせの本をもっとツッコンでご紹介したいがために書いております。「誰かの役に立つ」ことを目的にしてはないけど、読んでくれる誰かの役に立つんだろうと思います。
学んだこと、取り入れたもの、吸収したこと、気付いたこと、むしろ出来るだけ放出していかねば、と思う。できるだけ、手元に残さずに。
と、その前にコマーシャル( *´艸`)笑
★お知らせ★
7月25日㈰ 11:30~13:00
7月28日㈬ 10:30~12:00
参加表明、おまちしております♡♡♡
著者の背景がおもしろい
こういうネタを書く人は、スピ系ブロガーだったり占い師だったり、そういう精神世界を愛する人たちが主流だと思うんだけど、田坂せんせはそんな印象が全然なかったからオドロキ。
私が最初に出会ったのが、この本だったから。
探してみたら、別館ブログ(勉強方法とか語学、教育関係がメイン)で去年取り上げてたみたい。
「知性(賢さ)」ってのは、問いに答える能力じゃなくて、問いに向き合い続ける忍耐力なんだ、って考え方に初めて出会ったのがこの本だった気がする。
すごく水星的でしょ。
工学博士として研究を続けてきた科学者であって、経営者のリーダーであって、世界賢人会議(ブダペストクラブ)の日本代表で、総理大臣の特別顧問として内閣官房参与に就任してて、社会運動にも取り組んでて・・・んもう、何者なの!!!!って人。
そんな深くて広い人生経験がある人が、「運気とは何か」を語るんだ。それを磨く方法を、すごく丁寧で優しい(慈愛に満ちた)科学で語るんだ。
自己啓発本でもスピ本でもオカルト科学でもなく、田坂広志せんせの「生き方」そのもの、自分の人生でイチバン大切にしていることをコトバにしてるから、私はこんなにも感動したんだろうなぁと思う。
誰にでも言える「情報」はどんだけ表現を変えたとしても、中身は一緒。誰にでも言えるコトバに重みはあるのか?
風の時代だからって、焦って人の落した羽を拾い集めると・・・太陽に近付けば近付くほど、その翼は溶けて崩れて、最終的には地上に真っ逆さま。
「羽」は風の象徴ですな。風は占星術的に言えば「コトバの力」でもある。情報や、コミュニケーション。それは、自分のコトバか?ってこと。他人のコトバを繋ぎ合わせただけのハリボテの翼じゃないか?
自分の翼で飛ぶ。そのためには、「軽くなれ」という世論と矛盾してるようだけど、コトバに重みが必要なんだ。「耳を傾けるに足る」コトバが。
それは、「誰にでも言える正しい」コトバとは違う。
そもそも「運が良い」ってどういうこと?
田坂せんせがピックアップした「運の良さ」のなかに、私のモットー「コンステレーション」も登場したの。しかも、ちょうどこのコトバが出てくるページを読む直前まで、コンステレーションについて熱く語ってたもんだから、そのシンクロにも感動。
コンステレーションってのは、「星座」という意味の英語。
空を見上げて見える星の光はバラバラで無関係な点なわけだけど、その配置に「物語」を結び付け、「意味」を見出し、ひとつの大きな「絵」を描いたのが、夜空の星座。
そんなふうに、一見なんの関係もない出来事や出会いの結びつきから、「意味」や「物語」を見出すこと、それに導かれて起こる様々な偶然(幸運)を、コンステレーションと呼ぶ。
「運」というのはこういう表れ方をするようだぞ、というところから、じゃあどうやったらその「運」は自分の目の前に現れてくれるんだろうか?というハナシに進む。
「運」と「心」の世界には深い結びつきがある
これはもう、心理学的にも行動経済学的にもスピリチュアルな法則的にも、もう「一般的な常識」になっちゃいるんだけど、改めてその仕組みについて考えてみる。
いわゆる「引き寄せの法則」がうまくいかない理由も、この本ではビシッと指摘している。「ポジティブでいればポジティブな現実が引き寄せられるよ!」と言われ、ポジティブな言葉や感謝の言葉を繰り返し口にしていても・・・ある部分をちゃんとケアしていないと、それは全く効果がない。効果がないどころか・・・ってな。
それをちゃんと理解するために、心の世界、「意識の階層」をイメージしてみよう。
占星術、心理学だと大抵はザックリ「意識(顕在意識)VS無意識(潜在意識)」で二分して説明するんだけど、もうちょっとこまやかに心の世界を見てみると、こういうふうに階層に分けられる。
仏教だと8段階まで突っ込んだところまでケンキューされてるようだ!
んでんで、上からふたつ、個人的な意識と集合的な意識。このふたつは日常的な意識の世界(表面意識)として「運」とどう関係しているのかが説明されている。
心理学とか、理屈で説明できる部分はもっぱらこの表面意識のことになるかな。んで、お待ちかね無意識の世界。
無意識の心の世界にはこんな特徴がある
無意識の世界の存在は、まだまだ色んな仮説が飛び交う研究中の分野であるけども、共通して言える特徴はこの3つ。
- 意識的にはハッキリと自覚できない(自分では気付けない心の動き)
- 無意識の影響力は、意識の世界に食い込むくらいデカイ(でも気付けない)
- 意識的に無意識の世界に働きかけることはムズカシイ
無意識の方が意識を上塗りする影響力があるってのは・・・
口では「こうなりたい」と言いながら正反対の行動ばっかりとってる例とか、「幸せな結婚がしたい」と言いながらダメンズウォーカーになる例とか、枚挙にいとまがないんだけども。
占星術だったら月ね。自分に対する思い込み、自己評価、自己肯定感が、現実のパターンを9割決めちゃってますよってハナシ。
もうひとつ、無意識の世界のオモシロイ特徴。
- 無意識の世界は表面意識の世界を経由することなく、無意識の世界同士で互いに感応する
個人と個人が自覚できないまま、反応しあう(惹きつけあったり反発したり)しちゃうぜよってこと。これは表面意識の第二の層「集合的な意識の世界」でも起こる※んだけど、もっと深い部分にも理由がありそうなのだ。
※例えば非言語コミュニケーションで周囲に伝わる部分。
だらけるやつがいたらみんなの士気が下がるとか、イライラしてる人が近くにいるとこっちまでザワザワする、とか。
深いところで意識は繋がっている
個人的な無意識からさらに深いところ(自覚できる意識から遠いところ)にまで降りて(昇って?)くると、集合的な無意識の世界に行き当たる。
最近は心理学でも、こういう「個人という枠」を超えて繋がっている意識の研究も活発で、インテグラル心理学とかトランスパーソナル心理学とかいう分野になっている。
スピリチュアル好きな人が宗教を嫌悪してこっちの心理学に傾倒する流れがあることを不思議に思うんだけど、確かに相性がよさそうなハナシが多い。
夢で何か情報を得るだとか、以心伝心や虫の知らせだったり、同時多発的に心の動きに変化が起こる不思議な現象とか、そういったものは、「個人」という制限がなく繋がっている集合的な無意識の世界があると考えたら説明がつく。
物理的な距離を超えて心の深い部分で繋がってるってのは、あい分かった。でもまだこの階層じゃ説明できないことがある。
デジャブとか予知夢、予感といった時間を超えたシンクロニシティはいったいどうして起こるのか?
そこで考えられるのが、さらに深い層の心、超時空的な無意識の世界。
現代科学の最先端で議論されているひとつの仮説
ここからが、原子力工学を研究していた著者の説ですんごくおもしろいところ。
ゼロ・ポイント・フィールド仮説
宇宙のすべての場所に遍在するエネルギー場(ゼロ・ポイント・フィールド)には、過去・現在・未来すべての情報が記録されている、という仮説
私が著者の誠実さを感じるのは、ちゃんとこれを「仮説」として紹介しているところ。疑似科学やオカルトは自説の根拠を示すために科学を持ちだすとき、「科学的に証明された!」「これが真実だ!」とすぐに言っちゃうところがキライ。言い切った方が説得力があるのは分かるんだけど。
そいで、ゼロ・ポイント・フィールドがどんなケンキューで導き出された仮説なのかというと・・・これは量子物理学のハナシなのね。
138億年前に、宇宙が誕生した。これは天文と数学の計算で導き出されたこと。宇宙が生まれる前、そこには「量子真空」しかなかった。仏教的な言い方をすれば「無」があった。
「無」は「在る」と言わないか(笑)
ナンニモナイがアッタ。
量子真空が何かのきっかけで「ゆらぎ」を起こして、急激な膨張が始まって、ビッグ・バーーーン!!!ってのが、今考えられている宇宙創生のストーリー。
その「ゆらぎ」のきっかけは、「ヒマだったから」って誰かが言ってた。それ、面白いから採用(笑)なんて壮大な時間つぶし(笑)ヒマを持て余した神々の…ってコントを思い出す(笑)
いや、つぶすもなにも時間なんてもともとなかったんだけど。
あ、そうだ。宇宙に思いを馳せるなつかしい過去記事( *´艸`)
量子真空のなかにある世界
この宇宙を産み出すほどのエネルギーを持った「量子真空」の中にある「場」がゼロ・ポイント・フィールド。この宇宙で起こる全ての出来事、過去も未来も現在も含むすべての「時間」すべての「情報」を「波動」というカタチで記録している場。
量子物理学の目線で言えば、物質ってものの実体は全てエネルギー(それぞれ独自の振動数を持つ波動)なのですな。
実感しにくいけど、確固たるブツとして存在しちゃいない。大元は波動で出来てるから。重さとか固さとか手触りとかは、乱暴な言い方をすれば錯覚でしかない。
あと、時間も。
我々物理学者にとっては、過去、現在、未来というものは幻想なのです。それがどれほど確固としたもののように見えても、幻想にすぎないのです
ゼロ・ポイント・フィールドは、時間も物質も全てを「波動の描く情報」として記録している場。そしてそんな不思議な場が、宇宙全体を満たしているってんだから、どうなってるんだろうねこの世界は!!(*ノωノ)
未来はありとあらゆる可能性を含む
それで田坂せんせは、超時空的な無意識の世界はゼロ・ポイント・フィールドに関係している、と読んだわけ。予知夢とか予感、予見、未来の記憶はここに繋がることで得た「情報」なんじゃないか?ってこと。
ちなみ量子物理学の世界観だと、未来は確率分布でしかない。それはそうか、と思うんだけど、面白いのはそれに続く不思議な法則。
例えば電子の位置は観測する前はバラバラな可能性の集まりであるのに、観測された瞬間にその位置が確定する。
「シュレーディンガーの猫」の思考実験が有名かな。
この本は物理法則の説明をする趣旨の本じゃないから詳しくは書いてないんだけども、ゼロ・ポイント・フィールドから受け取る「未来の情報」というのは、確定した未来ではなくて「確率分布の未来のうちで最も現在に近い情報」だってこと。
この「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」は、我々の「心」が、この「ゼロ・ポイント・フィールド」と量子レベルで繋がっており、そのため、我々は、「ゼロ・ポイント・フィール」から情報を受け取ることができ、また、この場に情報を送ることができるという仮説でもある。
それが「脳」を経由して量子レベルで繋がっているのか、身体全体の作用なのか、それはまだまだ研究されているところ。
ちなみに量子力学はミクロの世界のハナシだから、マクロのサイズに働く力学(古典力学)とは全くルールが違う。「引き寄せの法則」とかで量子論を引き合いに出すのは、「????」な気もする。これが「わかりやすさのワナ」ってやつなんじゃないだろうか。
で、ありながら・・・生体の不思議な性質あれやこれにも量子力学が関わっていそうだぞ、というドキドキしちゃうハナシもあり。
「波動」状の情報の特性
ひとつの波動は、その波動と類似の周波数と共鳴を起こす。
フラワーエッセンスが取り扱う「植物の情報」が「波動」と言われるのは、この情報にアクセスしようとしているからよね!
ゼロ・ポイント・フィールドに繋がるために
信仰や宗教が目指す超越的なもの、神や仏や天といった存在というのは、ゼロ・ポイント・フィールドに関係あるんでないか、いや、むしろゼロ・ポイント・フィールドがその実体なんじゃないか、という田坂せんせ。
ヨガとか瞑想、祈り、座禅はそこに繋がるための技法。
そうそう、「無」と表現される世界はこの分別がない世界のことなんじゃないかと思う。「ない」とか「ある」とかそういう分別を超えたところにある状態。
まるで抽象的な世界の話をしているんだけど、「言葉」そのものが「抽象」の結晶みたいなもんだから、分別のない世界こそが「具体的」な世界なんじゃないかと思う今日この頃。
今目の前に見えている世界は抽象的な世界で、カタチ(言葉)を全部取っ払った時に残る意思の上澄みみたいな世界が、実は具体的な世界なのかもしれない。
2014年の私、ゼロ・ポイント・フィールドを感じ取っているじゃあないか(笑)
分別がない世界には、何の縛りも無い。
「わたし」と「あなた」どころか、時間もない。
それってものすごく「自由」なんじゃないか。もちろんそこには「自由」も「不自由」もないんだけど、究極の自由ってやつはそこにしかないような気もする。
「言葉」のおかげで「自由」を知り、それについて考えることができるようになったヒトってやつは、「言葉」がある限り究極の自由には成り得ない。そう思うと、なんとも言えない妙な気持ちになる。
私のなかでヨガとか座禅とかそういった行為の目指す先は「コトバから自由になる」世界だと仮説を立てたワケ。
「自分の行為」と「自分」の境目をなくす。そこに「自分」はいない。「自分」がいなければ「他人」もいない。ひとつのまとまりでしかない。
ただ、ある。禅僧ならそう表現するのかもしれない。
言葉は世界を分ける。国境を引くとか文化の違いを生むとかそういう意味じゃなくて、もっと個人的な意味で。
人間はだいたい、「いぬ」も「つくえ」も「わたし」も「あなた」も無い世界を1年以上過ごす。まさに大人が座禅や瞑想を通して一生懸命目指そうとしている世界に、生まれながらにしてどっぷりと浸かっている。
その分別のない世界から私たちを引きずり上げるのは、「言葉」なんじゃないかと最近思うようになった。
分別がない世界の感覚を思い出せる大人はいない。いったん言葉を覚えてしまったら、二度と戻れない。普通は、それを忘れていることも忘れている。
それから私の「ことば」に対する執念がすさまじいわけ。(笑)
「ことば」の存在そのものが、私の人生をかけたライフテーマなのかもしれない。
そういうわけで、子供の言語教育とか、脳とか勉強とか、占星術とか、そういう分野に浸かっていったんだろうなぁ、と思う。全部、軸は、コトバの探求にある。
そいで、田坂せんせは宗教と最新科学との接点についてもちょっと触れてる。そこでアラヤシキって言葉に再会して、ぞくぞくしちゃった。
漫画『阿吽』で、ビジュアルだけで表現されていたアラヤシキ。
なんとなく心にひっかかってて、こんなことを書いていた。
これも空海が持ち込んだ仏教思想の重要テーマだったらしい。
おもしろいことに、この思想と空海の関係を知ったのは【古代漢字圏における西方占星術:歴史と技法】というオンライン講座でちらっと出てきた経典だった。(なんて名前の資料だったかわすれちゃった!)
占星術も絡んできた★
そんで田坂せんせの本を読んだ後「おすすめ本」に上がってきたこの本。
あの疑問にたいするお返事が来たってことね!!ってことで、今読み始めたところ。
さてさて、5つの心の世界。それぞれの世界に繋がることで、それぞれの形で「運」が現れてくるようだぞ、ってところまでOK?
こういう「運」として現れるってのがわかりやした。5つの心の階層どこと繋がるかで、それぞれに現れる「運」の様式は変わってくる。
そんでもって、運の良い人ってのは、心の世界を変える(深い階層に繋がる)技法を習得している。
特に重要なのは「個人的な無意識」の世界
5つの心の世界の中で、自力で働きかける(変化を起こす)ことができるのは自分の潜在意識(個人的な無意識の世界)がメインになるってこと。
表面意識は働きかけやすいんだけど、そこを変えても無意識の影響力のほうがはるかに強い。集合的な意識&無意識、それからこれより深い層は、自力で働きかける(変化をくわえる)ことがムズカシイ。
難しいけども、個人的な無意識の世界を入り口にさらに深い層に繋がることができる。
ここから「なぜ従来の無意識を変える方法が効果を発揮しないのか」ってハナシ。これはさとうみつろう氏がすっごく説明上手だったなぁ。
あと、この例えもおもしろかった。
無料部分に書いてあるよん↑。牧野内氏はKindleアンリミテッドの本を読んで知ったんだけど、錬金術に絡めて「引き寄せ」の仕組みを解説しているのが新鮮だった!!
もちろん、田坂せんせもすごく論理的に、スッキリわかりやすく、対処法と共に説明してくれてます。
- 普段の生活で無意識にネガティブな想念が刷り込まれ続けている(しみ込んでいる)
- 表面意識の世界と無意識の世界には「双極的な性質」がある
心の世界と電気の世界は似ている、って着眼点が、さすが理系!!プラスとマイナスの電荷はセットで同時に同じ量発生しちゃうってこと。
だから、ポジティブを強く意識するとネガティブが強く生まれちゃう。それならば・・・と挙げられる「技法」が、すごくボリューミーな充実した内容なのであります!!!
心を浄化する三つの技法
- 無意識のネガティブな想念を浄化する
- 人生でのネガティブな体験を陽転する
- 究極なポジティブな人生観を体得していく
現在、過去、未来を変えるテクニックです、これは。良い運気を引き寄せるだけじゃなくて、病気を克服して、才能を開花させる方法でもあるわけ。
これは田坂せんせ自身が、余命宣告を受けて実践してきた方法だから。
まずひとつめ、浄化の技法。ここで紹介されているのは3つの習慣。
- 自然の偉大な浄化力に委ねる
- 言葉の密やかな浄化力を活かす
- 和解の想念の浄化力を用いる
具体的な内容はぜひぜひ本書を読んでいただきたいんだけど、特に三つ目、「和解」の習慣が、やってみるとすごく感動する。心の世界で、一人一人と和解する。この浄化力はスゴイ。
和解の習慣同様に、過去を変える浄化力があるのが陽転の技法。これは過去の自分との和解でもあるな。これは無意識の柱になっている「自己肯定感」に作用するテクニック。
陽転の技法が身に着いたら、人生の解釈が変わる。
見えている世界が変わってくる。
最後に、究極にポジティブな人生観を持つための「五つの覚悟」。これ、あまりにカッコよくて私手帳にはっつけた(笑)
究極にポジティブって、字面だけ見るとチャラいんだけど、全く浮ついてないよ。これは腹を据えた「覚悟」の上に実現するのかもしれない。
私はこの「覚悟」こそが、人生のコンステレーションを見つけることだと思う。自分の命の、人生の大きな「つながり」「意味」「大きな偶然に導かれる物語」を発見すること。
「祈り」は2種類ある
「艱難、汝を玉にす」逆境は成長の糧・・・とはいえ、深刻な問題やほんまにしんどいときに、どうやったらそんな「覚悟」を定めることができるのか。
それで最後に述べられる技法が、祈り。
ただし!!一般的に思い浮かべられる「願望の祈り」とは違う。自分の望みが叶う事を天に求める祈りは、やっぱり「双極的な性質」のせいで表面的にポジティブな意識でいても、無意識下ではネガティブな想念を生じてしまうわけで。
しかも無意識のほうが影響力は強い上に、他の人の似たような無意識まで共鳴してくっついてきちゃうと来たもんだ。
そうじゃなくて、全託の祈りをするんだよ。全部を委ねて、託す祈り。「〇〇できますように」とか「〇〇させてください」じゃなくて、ただシンプルに「導きたまえ」。ただ、それだけ。
これは、すごく深い。
ただ委ねる、なにがあっても全てを肯定する。なにがあっても、全てに深い意味があると受け止める。自分を信じて、世界を信じる。
それって・・・全肯定!癒しの呼吸!!星の型!!!
「自分には問題や欠損があって、そこをどうにか外部から補修せねばならぬ」
とか
「相手には問題や欠損があって、そこをどうにか私が補修してあげねばならぬ」
ってエネルギーで人(や世界)と接すると、それを証明する現実しか見えなくなる。
宇宙のチカラを信じるってことは、宇宙に含まれる自分のチカラを信じるってこと。自分の存在を肯定するってこと。この浄化力、癒しのチカラは、本当に大きい。
人生で起こること、すべて良きこと
ここでね、これを読む前にちらちら目にしていた親鸞聖人の「悪人正機」の思想がドドドーっと流れ込んできたの。あ、そうか、あれも「全肯定!仏の呼吸!ナマンダ~の型!!」だったのか。
たぶんね。
ニーチェの「永劫回帰」の思想も、そう。人生はしんどいし、グルグルグルグル繰り返す。それでもそれも全部受け入れて、「然り!」と肯定するのが「運命愛(Amor fati)」なんだ。
ネガティブでもポジティブでもない、究極のポジティブって、そういうこと。田坂せんせは「良い運気をつかまえて人生ハッピーハッピーにすごしましょう☆彡」とは言わない。「この法則であなたもハッピハッピーライフ♡」なんて言わない。
我々の人生においては、本来、
「良い運気」も「悪い運気」も無い。
最後にそう言い切っちゃってる。それが全肯定。
私にとって、占星術でホロスコープを読ませてもらうのは「全託の祈り」。それはフォトンワークであって、鎮魂でもある。全肯定!癒しの呼吸!星の型!なわけ。
田坂センセの本、Kindleアンリミテッドにもあるからぜひにぜひに読んでみてね!!
初月30日間は無料で読み放題!!
はぁ~~~~~、ごついがんばって書ききった!!
ねぎらいメッセージはこちら↓まで(笑)
返信と共に全肯定フォトン、飛ばします(笑)
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