11月の第一週もアレヨアレヨのエブリデイ。
リーディング募集・・・2~3人いけるかな!!と思ってたけど、1名様限定に絞るかも(;^_^A 全身全霊で詠むから!!ってことで・・・待ってくれてる人、とと子気まぐれでスマヌーーー
さて今週読んでた本が面白くて・・・・
免疫について、脳について、がメインだからアッチのブログに書いたけど・・・「水と記憶」とか「夢」とか「月」とかオカルトネタもぶち込みたいよね!!!!というわけで、堂々と書けるコッチのブログに続きを。(笑)
コミュニケーションの根源とアメーバ
引き寄せ合うか、共食いするかってあやういバランスで活きている生命体アメーバ。これって、人間のコミュニケーションのジレンマにとっても似ているんだよ。
ひとつになりたい(統合)、個として生きたい(分離)の反発し合う磁力がゆらゆらと動きながらバランスを保ってる世界。生命はジレンマで出来ている。(笑)
ジレンマ、は日本語で「板挟み」だけど、板挟みだとぎゅっと固定されているから感覚としては違う。もっとダイナミック。常に動いているから、静止しているように見える。常に不安定に変化しているから、安定することができる。
コミュニケーションや社会の根源には、暴力性が常に存在している。
これこれ、この部分。もう占星術(火星)を絡まずにはいられないね。ここまで繋がってくると、書かなあかんメッセージやとすら思う。
人間の最初のコミュニケーションは怒りで始まる。破壊的で攻撃ていな衝動を、よりにもよって最愛の人に向けることによって、コミュニケーションがスタートするのだ。
↑の記事で、「月」と「火星」の意外な接点を発見してテンションあがってたでしょ。暴力性は、やっぱり火星なのよ。
火星エネルギー(暴力性)があって生命が誕生する。出産(産む、じゃなくて産まれるの視点)という押し出す力。
産まれる、という視点で火星について書いた過去記事があった
I was born
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやっ てくる。物憂げに ゆっくりと。
女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟 なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世 に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
女はゆき過ぎた。
少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと 諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
----やっぱり I was born なんだね----
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
---- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。
僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。
父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
----蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね----
僕は父を見た。父は続けた。
----友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だと いって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く 退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっ そりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとま で こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの 粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは----。
父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
----ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体---
で、この世で生き延びるために生きるすべを身につけていく「自分像」をつくりあげるのが月。
その手段、母親(養育者)とのコミュニケーションで最初に使うのが、火星のエネルギー。火星のエネルギーだけは、生まれた瞬間に持ってるんだから(なんてったってそれを使って産道から出てくるわけで)。
愛と暴力は表裏一体
もうちょっと遡って、「ワタシ」が生まれる前のハナシ。
おとーちゃんとおかーちゃんのハナシ。火星と、金星。暴力と性は切り離せない。どっちもタブーでありながら、どちらも生命の根源にある。
それってとっても8ハウス!!!で、8ハウスは蠍座の部屋。火星は蠍座の元守護星(ルーラー)。今は火星はサブ・ルーラーで、ルーラーは冥王星って位置づけなんだけど。
さぁ、ちらっと登場しました金星。
これまた最近登場したきらきら星。愛とヨロコビの星。ヴィーナス。
ヴィーナスもやっぱり「性」とは切り離せないわけで。
『共感のレッスン 超情報化社会を生きる』の中で、美意識は性淘汰というハナシが出てきて、こりゃ金星のことだな、と。
生物の進化、ダーウィンの「自然淘汰」の考え方が一般的だけど、ダーウィン本人が晩年強く主張していたのが「性淘汰」だったらしい。配偶者の選択が、進化の起源ではないか、そのために求愛行動(=美意識)が存在しているんじゃないか、と。
自然淘汰的な考え方だと、より合理的で効率的に生き延びれる種が勝ち残るってことになるじゃないの。
でも、性淘汰がメインストリームだとしたら?
蛍が光る、鮮やかな尾羽を拡げてダンスする、美しい歌声を響かせる・・・そういった美しいものは、サバイバルには役に立たないどころか、かなりリスキーなオプションでしょ。
美と芸術って、”無駄”だからこそ価値がある。愛を求める行為(=金星)が、配偶者選択を決めて、そこから生命が進化してきた。
金星♀はやっぱり火星♂とペアになる星なんだなーーー!!!と感動。愛と調和の裏には、暴力と性がある。なんてショッキングな。
分かち合いの世界の中心で手を繋ぐ金星と火星
ギフトでまわす経済システム(贈与経済)についても性淘汰と言う視点で見るというオドロキ。分かち合うってのは非合理的だけど、セックスアピールが根底にあるから成り立っていたのかも、という視点。
言われてみればそうか、贈り物と分かち合いの世界は金星が軸にあったのか!!私はMCが天秤座で「循環する環、感情の道」がシンボルにあてがわれてるんだけど、この世界観と贈り物の世界が重なって見えてたのは結構イイ線いってたのかも。
天秤座のルーラーは金星だし。
愛と調和の天秤座。金星。そして金星を表すハウスは7ハウス。人間関係、人と向き合うハウス。
対する180度、向き合うハウスは1ハウス。「わたし」を表す牡羊座の部屋。火星。
も~~~~、そういうことね、の連続。
自他の境界線は、常に向き合っていて、バランスをはかりながら保っている。これって免疫システムのこと。そんでもって、火星は免疫系のシンボルでもある。
免疫とは、単純に排除する働きではない。
自分とは違う存在と「折り合いをつけていく」システムなんだ。
夢と記憶のデータベース
記憶というとどうしても「覚えている言語情報」として捉えられがちだけど、それは記憶のほんの一部ですよ、というハナシ。
もうオカルト界隈ではそんなに目新しい説でもなく受け入れられているハナシなんだけど、記憶ってのは個人の脳(身体)の中じゃなくて、クラウド上に記録されているんじゃないか、ってイメージ。
大きな記憶の保存場所が「場」に存在していて、脳(身体)は個々の受信機だってこと。インターネットが身近になった私たちならイメージしやすいかな。
言語情報の記憶、身体の記憶、タマシイの記憶と階層分けしたことがあるけど・・・
高層階(タマシイの記憶)をもっと分けると、文化的な記憶(日本人とか共同体のルール、共通する記憶)とか、広がって種の記憶(人類というスケール)、もっともっと行くと生命の記憶とか星の記憶になる。
あ、前はこれを「地下」のイメージで書いてたっけ。上でも下でもどっちでもいいんだけど。だって本当は重なってるから。
だから時々触れたり(思い出す)、行き違ったり(神隠し)なんだりかんだりするんだと思う。うす~~~いレイヤーで重なり合ってるたくさんの世界。
接点は、「夢」じゃないか?って仮説をたててたんだけど、「夢も身体現象の一つ」というハナシが『共感のレッスン 超情報化社会を生きる』に出てきて「ほぉぉ」となった。
神秘体験とか、超越的体験をしたときに反応する脳の部位は頭頂葉と側頭葉の接続部分なんだけど、そこって「身体のイメージ」を司る部分なんだって。
太古の人間の精神活動は意識と無意識のつながりが今とはちょっと違っていて、その状態は今私たちが見ている「夢」に近いんじゃないか?って。
(だからぶっとんでるのか・・・)
俗にいう「神の声」が聞こえるってのは、右脳の信号を左脳で言語化しているから、ってハナシ。これも面白い。
あと、文化的な記憶のデータベース としての「コトバ」。
私たちは日本語を話すことで、日本語ができてから今までの全ての日本語話者の思念、感情が組み込まれているデータベースに、普段にアクセスしているのだ。
このアイディアはこの本から拾った。
「場」に存在する記憶
記憶は「中」じゃなくて「外」にある、その外の世界は「場」とか「環境」と表現されているから、同じ時間を生きる目の前の世界の「場」ってイメージになっちゃうんだけど、そうじゃなくて他のレイヤー(重なりあう世界の層)の「場」だと思う。
一緒に存在してるんだけど、一緒じゃない、というか。
「意識というデータ」という見出しでこの記事↓の最後に書いたコレ。
事故で腕を失くした人が、なくなったはずの腕の痛みを訴えるファントムペイン(幻肢痛)という症状がある。物理的にはないのに、意識だけ残っている。
人間まるごとをとってみても、肉体が消滅したあともその人が生きていたというデータ・ファイルが消えずに地球上に残っているなんてこともあるんじゃないか。
そうなると、聖地は聖者に関する多くのデータが集積した場所ともいえる。そこからデータを引っ張り出せるかどうかは別のハナシとして。
「場」とは逆方向からの視点になるけど、一個人の中の細胞ひとつひとつにも、全体の記憶が存在している。
それは細胞のなかにあるDNAのハナシでもあるし、「真理は自分の中にある」というオカルト・セオリー(笑)にも通じる。
上のファントム・ペインにすごく似ている現象で、ファントムリーフという実験結果があったらしい。
それはこの本の中で紹介されてたハナシなんだけど。
葉っぱをちょん切っても、切り取られた部分を再現して写真にうつるって現象(超ザックリ!!!)。ペイン(痛み)かどうかはわからないけど、それって自分の外「場」にある記憶であり、中にある記憶を再現してる風でもあるよね。
記憶=情報の波
全は個にして 個は全なり 個は孤ならず
これ・・・どうしても、木が教えてくれたことだった気がするんだけど、記憶の元が辿れない。ナウシカの原作でオウムが言っていたのは覚えてる。
この本だった気がするんだけどなー。見つからない。
私はこれを占星術の大前提「So Above As Below(上の如く下も然り)」とおんなじ文脈で受け取ってる。マクロコスモスとミクロコスモスの関係であって、記憶のありかであって、自然の摂理。
んで、水のハナシ。
アナ雪2でオラフが言ってた「水は記憶を持っている」。
あの衝撃的な漫画アマテラスでも、水についてちょっと言ってたっけ。
外の記憶、中の記憶、この膨大な情報は、言葉の記憶みたいに一直線になってない。それをコトバで一直線にせつめいしようとするのってほんまに無理ゲー。
でも出さずにはいられない。
記憶のデータってのは、まるごとまるっと◎で伝わるたぐいのものなんじゃないか。
あの映画は、宇宙人のコトバを〇という図で表してたけど。
クジラの歌(ソング)とか。
ザトウクジラはね 水の中で歌をうたってるんだ。
水の中では音は空気中よりずっと遠くまで伝わるから・・・鯨は歌をうたうことで、何キロも離れた仲間どうしで会話してるのさ。
超音波画像ってわかるかい?
あの・・・おなかの中の赤ちゃん見るヤツ?
そうだ。鯨の歌はね、とても複雑な情報の波なんだ。鯨たちはもしかしたら、見た風景や感情をそのままの形で、伝え合って共有しているのかもしれない。
情報の波。波動、振動。
リズム、周期、波のようなもの。色んな幅や大きさの波が重なり合う。
言葉にするとなんか恥ずかしいけど、ハーモニーってやつ。
波ってことは、サインコサイン、○(まる)の分解でしょ?
色んなサイズの、色んな色の○がいっぱい集まって、一つの○を作ってる。
海も、地球も、音楽も、それぞれの○のリズムを持ってる。世界って泡ぶくみたいだなぁ、って思った今日この頃でした
こんなこと、書いてたなぁ。
その情報の波(リズム)に共振、共鳴することで「記憶」として受信しているんじゃないかな。受け取る側の何が共振しているのかって、そりゃ「意識」の部分なんだけど、「意識」本体を動かすのは難しいから、身体を先に動かす。
身体を揺らす、踊る、歌う、声帯を震わせる、呼吸を合わせる。
直に浴びるだけでも、振動はもちろん伝わるけど、一緒に合わせてみようとこっち側からも動くのはダイジなのかも。
それこそセルフヒール。
内側から動かない限り、全ての癒しは無意味!
自分を癒せるのは、自分だけ。
『共感のレッスン 超情報化社会を生きる』では「人間は人間を根本的には救うことはできない」と言っていたけど、この「人間」は「他人のコトバ、外からの働きかけ」という意味なんじゃないかな。
「共感」ってのは、振動を合わせること。チューニングすること。そういう結論だったっけ。それって、「響関」のことだね!響き合い、関係しあう。
水の記憶と「月」
いったりきたりするけど、水と記憶のことも書いとかないと。水ってのは月で、無意識の部分。
月が大きく働きかけるのは、地球の水。海。満潮、カンチョウ。海水の成分は体液と相似。地球の7割以上が海に占められているように、人体も7割以上は水分で構成されている(それも海水とほぼ同じバランスの)。
羊水にいたっては、海水とほぼ同じ成分比率。
生物学者のリプトン博士が、DNAが性質を決めるんじゃなくて「場」がDNAの活動を左右するって説で言ってるあれ。
あれもね、ちょっと水のハナシだって思うのよ。
細胞の核にあるDNAは、組成液(水)に浮かんでる。体液の成分は、身体の変化に反応して変化する。身体の変化は、環境によって引き起こされる。同じ環境でも変化が違うのは、受け取り方(思考や感情)が違うから。
んで月がどう繋がる??ってのはまだ私の中でぐちゃぐちゃなままだけど。。。
情報の受け渡しに、「水」はキーワードになるんじゃないかなーと思ったわけです。
だから最近フラワーエッセンスが気になるのかな?!!あれも情報のやりとりを、水と波動でやってみようってことだから。
夢と記憶と「月」
なんだったかの研究結果で、夢の内容を調査したら70%は不安や恐れ、悲しみの感情がベースになってるってわかったんだって。
それって、やっぱり月だなーって思った。
月が原因でそうなっているというか、夢を通してその感情を処理している、解消(浄化)しているってことだと思う。
海水の浄化力って、塩の成分的なもんもあるし、羊水の記憶がそうされるのかもしれないけど、それは「月」の浄化力でもあるのかなって。
私もマドモアゼル愛先生の「月は欠損、月は幻」説が好きでかなり影響を受けてるけど、あのショッキングな説のせいで「悪者扱い」してる人も増えてるんじゃないか?!という印象。たくさんの人の反応を見てると。
そりゃ欠点でコンプレックスで劣等感くすぐりポイントだけど・・・「癒し」のカギであることには変わらないわけで。
共感、そして響関には癒しの力がある。共鳴・共振することによって、ちぐはぐな状態(不協和音)から心地いいハーモニーを取り戻すからなのかな。
10年近く前に大阪で出会ったプレイバックシアター、あれもそういう場の共鳴に癒されていたのかも。
プレイバックシアターについて書いた日記をあさってて見つけてしまったこんな記事・・・
ここんとこ一生懸命文字に書き起こしてる「免疫」とか「境界線」のハナシ、ずっとずっと自分の中にあったんだなぁ、と驚いた。
オートマチックな自分
月の浄化力を認めたうえで、それでも私は太陽に向かうことを選びたい。(そしてそれを皆にオススメしたい)
『共感のレッスン 超情報化社会を生きる』でグルジェフという舞踏家の思想が紹介されていた。確かこの名前・・・最近オカルト分野で見たような・・???
あ、これやこれ!!めっちゃオカルトやんやっぱり(笑)
このグルジェフ記事みて書いた記事もあった。
『共感のレッスン 超情報化社会を生きる』にはそんなハナシ出てこないんだけど、「人間は生存機械」って視点、これも面白かった。
人間の思考や行動は、生き延びるための反応でしかない。つまりオートマチックなパターンを繰り返す生きている機械。
もう、めっちゃ「月」やん。
でも、機械であることを知ることで、機械ではなくなることができる。
無意識のパターンに気付いて、自覚して生きるという選択。つまり月から太陽へ、の流れ。
旅(身体の移動)で知性が磨かれる
これ!これ3ハウスと双子座のハナシやんって思ったこと。
聖地そのものじゃなく、聖地に向かうプロセスがメインなんやで、って。情報のカタマリ、真理、高次元の波動、なんでもいいけど、そのものに価値があるのはあるんだけど、そこに向かう道中がダイジなんやで。
エッセンスはインフォメーションセンター。そこから「自分は」どう行動を起こすのか、が重要。
旅の道中を楽しもう!!!!
おしまい!
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