クリスタルのポップアップストアで出会った石〜〜✨
明るい青で、小粒三連のブレスレットがあれば買おう!と思ってゴソゴソしてたらステキなブルーアパタイト(燐灰石)のやつを発見。
リン酸カルシウム・・・😁
アパタイトはそのいろんな色のおかげで
高価な宝石、アメジスト、サファイヤ、トルマリン、ペリドットと間違えられる紛らわしい石。見た目はそっくりで美しくても、成分は違うからね。まがいもの、偽物という名(アパタイト)はそこから。
サファイヤやらアメジスト、世間様の憧れの的である彼ら宝石たちを基準にすれば、たしかにアパタイトはまぎらわしい「偽物」だ。
でも、それはアパタイト自身の美しさでもある。
他と比較してとやかく言う外野には勝手に言わせておけば良い!
その成分は生物の身体、骨や歯の成分に含まれるものと同じ。
生物と非生物のつなぎ目、みたいだな、なんてふと思ったよ。
パワーストーンとして宣伝(?)されるアパタイトは「真実を告げる伝達者の石」だそうで。偽物の名を持つアパタイトが真実を告げるってのも、オモシロイねぇ(笑)
何をもって「まがいもの」とするのか?
あなたにとって真実(ホンモノ)とはなにか?
教えてくれる、告げるというよりは、そんな問いかけを感じる石ですな。
石の解説動画ミッケ!鉱物は楽しいねぇ〜♡♡
完全な観賞用の宝石じゃなくて、日常生活に溶け込んでいる(活用されている)ってところも、私は好きだな。
最近気づいたんだけど、私は「日常」ありきのがオカルト、といいますか・・・それこそ原始時代的な、日々の暮らし世界そのものに神秘が溶け込んでいる、みたいな世界観が好きなんだね。
わざわざ見えない部分と見える部分を分けて、片方を取り上げてそのスバラシサを讃えようとか、比べてどうこうっていうんじゃなくて。
人々はよく、われわれは生きることの意味を探っていると言いますが、人間がほんとうに探求しているのは、たぶん生命の意味ではありまん。
人間がほんとうに求めているのは、<いま生きているという経験>だと思います。
純粋に物理的な次元における生活体験が、自己の最も内面的な存在ないし実体に共鳴をもたらすことによって、生きている無上の喜びを実感する。それを求めているのです。
「そうそうそう、『いまいきているという経験』!!」と膝をぱちん。
「人生の意味の探求が必要だということですね」と私はたずねた。
「そうじゃない。生きているという経験を求めることだ」
私は、「神話とは、経験の旅をした人々が描いた内的経験のロードマップではないでしょうか」と言った。
(中略)
彼にとって神話は「宇宙の歌」であり、「天球の音楽」であった
ー曲名は知らずとも、われわれがそれに合わせて踊る音楽。
われわれは「高みに立ってコンゴの魔術師の不可解なマンボー・ジャンボーを面白がって聞くときも、教養人らしい歓喜の念をもって老子の詩の翻訳を読むときも、時たまアクイナスの教説という堅い実の殻を破るときも、あるいはエスキモーの奇怪なおとぎ話の輝かしい意味を突然語るときも」その音楽のリフレインを聞いているわけだ。
神話、私はざっくり「物語」ってコトバを使ってそれを表現するけど。
全ての物語は、エコーなんだよ💫
人間の奥底にある共通の意識・・・とユングは言うけど、
それは宇宙のはじまり、ビッグバンにまで遡れる「響き」なんじゃないかって思うよ。
人間の奥底、意識の深い闇の奥、生命の記憶に連なる無生物(星)の記憶、そして宇と宙の最初の一点。爆発!
私の言う「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。
人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当のあり方だ。
子供の頃から私は自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かし難い感覚を持っていた。それは誰にも冒させることのできない、絶対的な存在感なのだ。
いのちを生きる。
実はそれが、この人工宇宙探査プロジェクトのもうひとつのテーマでもある。
外側の時間にノルカソルカじゃなく、自分から生まれる時間(宇宙)を生きてみる。
そして昨日の記事に戻ってくる・・・ぐるぐる
それから、アパタイトのブレスレットと一緒に映ってるペンダントトップ。
ちっちゃな水晶。ハーキマーダイヤモンドっていうんだって。
これ・・・台湾で買って長崎で失くしたクリスタルにそっくりでね🥹
すごく気に入ってたのに、いつのまにかチェーンが切れてて、チェーンだけが首に残ってたっちゅう不思議ないなくなり方をしたあのお方・・・
はぁ。。。うちゅくしい。。。
うっとり
今日はこのアパタイトブレスとハーキマーお迎えのお手入れ(浄化っていうの?)して、愛でようと思います。しあわせ。
あ、そうだそうだ。
「まがいもの」と「物語」の組み合わせで思い出した。
物語は語り手が喋ればそれが真実になる。
これは私の今世ライフのキーワードでもある。
「自分」は関係の中に生まれる。
選ぶことのできない場所に生まれる。
でも自分は、いつまでも同じところにはいない。
いて、たまるもんか!
動いては関係を踏み外し、はずしては関係を組み換え、自分を作り替えてゆく。
新しい関係との出合いが、新しい自分という面を削る。
昨年の私は今日の私にとっては他人、そして明日の私にとってのなつかしい道連れだ。
ありあわせの素材でつくった小舟を浮かべて、星がきらきらまたたく宇宙(そら)を旅してみよう・・・って、今実行中のプロジェクトじゃないか!!(笑)
なつかしい道連れに、たびたび出会う旅さ。