混乱の末、やっと住む場所が見つかりました。
トランジット太陽が4ハウス(IC)に差し掛かったタイミングで。
ここ数か月は面白いくらいに、星の動きと共鳴してコトが進んでます。前後二日間ほどの「あそび」はあれど、象徴的な出来事がトランジット×出生図の二重円の「星時計」に併せて展開していってます。
さてT♅×N☿トラインのタイミングでインターネットも開通したし。今週中にケータイの契約を済ませて、新月で始まる来週からまさに新生活スタート、ですな。
今月はネイタルDscとトランジットの木星、火星が絡んでくるのが気になるところ。人体実験みたいでワクワクする。マッド・サイエンティスト気分。
拠点の4ハウス
家族やホーム、ルーツを示す4ハウス。蟹座の部屋。
ニンゲンの社会的な習性から見ると、「家族」とか「親戚」とか「一族」ってのは固定された線引きがあるわけじゃなくて、自分たちで確かめ合いながら結びつきを強めていくものなんだって。
血が繋がってるからとか、顔や髪の色が同じだからとかじゃなく。
生殖関係や血縁をもとに家族であるというよりも、空間を共有して暮らし、ともに行為を重ねることで、家族になる
これって、すごく蟹座的。
共有する空間の中で、情的な交流の中で、意図的につくりあげていく関係性、それが家族。もっと大きなスケールで見れば、地域や社会という共同体、国家。
共同体を作り上げようと働きかける、活動宮の蟹座。
そして蟹座は水エレメント。
親子なんてものは、水のようなものだよ。
(中略)
水なんだよ。確かに、同じ泉から湧くこともあるけどさ、他所から汲んだ水を入れても、それは混じり合って、一つの水になる。色の違う水や味の違う水を入れても同じ。いつかは皆、同じ水になるんだ。
拠点は「母」なるもの
そして蟹座は「母性」の象徴でもある。
ポタワトミ族では、女性は「水の守り人」だ。
儀式では、女性が聖水を運び、水のために行動する。「女性はもともと水とのつながりが強いんだよ、だって、水も、女性も、生命の担い手だもの」と妹は言う。
「女性は体の中の池で子供を育てるし、赤ん坊は水の流れに乗ってこの世に生まれてくるの。すべての生き物のために水を守るのは私たちの責任なのよ」いい母親であると言うことには、水を守ることも含まれるのだ。
母性はまた、「月」にも象徴される。月は蟹座の支配星。
ポーラ・アレン・ガランは著書『Grandmothers of The Light』の中で、女性は人生の様々な段階4螺旋を描くように通過していきながら、まるで月の満ち欠けを繰り返すようにその役割を変化させていく、と書いている。
螺旋はどんどん大きく広がって、賢明な女性の教えは、彼女自身や家族という枠を超え、人間と言う共同体を超え、この惑星を包み込んで地球の果てなるのだ。
共同体、ここまでが身内、と心を寄せるグループの規模は蟹座の器の大きさによる。器が小さければ、「安心感を守る」ために小さな世界でナワバリ争いを続けなければいけない。
占星術的な視点で言えば(星占いではなく、ってこと)、誰のなかにも、蟹座はある。そこに注目するかどうか、どのくらいエネルギーを注ごうとしているのかは人それぞれなだけで。
You are the keeper of the water.
あなたが、水の守り人なのだ
拠点は足場、地中の根(ルーツ)
アメリカのナチュラリスト、詩人のゲーリー・スナイダーは『聖なる地球のつどいかな』のなかで、「グレートスピリットは全ての人に仕事を与えている」と言っていた。その仕事を果たすことが、生きること。そしてこの仕事を見つけるために、「場」(自分の居場所、ルーツ)が必要なんだ、って強調していた。
使命と、場。これってMCとICのことだね。
ゲーリー・スナイダーによると、この「場」を見つける条件は「深い喜びが感じられること、自分にとっても社会にとっても有益であること、同志がいるコミュニティであること」。
MC×ICの縦軸は、両端がよく見えない。MCはまだ到達していない(でも進む先にあるはずの)山の上だし、ICは自分の足元からずっと深い地中に伸びる根なんだもの。
地続きであることは感覚として分かっていても、見えない両端。
感覚として残っていたルーツも、掘り起こされてちょん切られてとぎれとぎれになっている・・・なんてこともあるのかもしれない。
私は、多分そう。私の蟹座のキロンは、切断された根っこ。
灯台に過ぎなかった、と言い換えてもいい。
もとより灯台が船の目的地を決めてくれるわけではない。航路を決めるのは人間だし、船を動かすのも人間だ。何が正しくて何が間違っているのか。灯台は一言も語らない。静まり返った広大な海で、人は自ら風を読み、星に問い、航路を切り開くしかない。
絶対的な神の声がない以上、船はしばしば迷い、傷つき、ときには余人の船と衝突することもある。しかし絶対的な教えがないからこそ、船人たちは自分の船を止め、他者と語り合うこともできたのだ。
己の船が航路を誤っていないか、領分を超えて他者の海に迷い込んでいないか、そのことは、寄って来る港を振り返りさえすれば、灯台の火が教えてくれる。
船が今どこにいるのか、どれほど港と離れているか、人はささやかな灯を見て航路を改め、再び帆を張ることになる。
この国の人々はそうして神とともに生きてきた。この地の神とはそういう存在だったのだ。その神が、今姿を消しつつある。それはつまり、灯台の光が消えようとしているということだ。
S、O、S。
Save Our Ships、私たちの船を助けて。
そうそう、ふと思い出した。
アニマル・トーテムタロットで私の「根を張るべき場所」を見た時、海だったんだ。
無論、私がここで言う神とは、迷える子羊を導いてくれる慈悲深い存在ではない。弱者を律し、悪者を罰する厳格な審判者でもない。
たとえ目には見えなくても、人とともにあり、人とともに暮らす身近な存在だ。
この神は、人を導くこともあれば、ときに人を迷わせたり、人と争ったり、人を傷つけることさえある。
かかる不可思議な神々とともに生きていると感じればこそ、この国の人々は、聖書も十戒も必要としないまま、道徳心や倫理観を育んでこられたのだと私は考えている。
ただ土地の人々のそばに寄り添い、見守るだけの存在だ。まさにこの大柊のようにな
信じるかどうかじゃない。感じるかどうかだよ
感じるかどうかってのは、この国の神様の独特な在り方なんだ。
例えばキリスト教やイスラム教やユダヤ教ってのは、みんな信じるかどうかってことを第一に考える。そりゃそうだ。神様自信が自分を信じなさいって教えているんだからね。
しかしこの国の場合はそうじゃない。神様でも仏様でもどっちでもいいんだが、とにかく信じるかどうかは大きな問題じゃない。ただ、感じるかどうかなんだ
都市化とともにその憑代である巨岩や巨木を失えば、神々は、その名残さえ残さず消滅していくことになる。
ニーチェは『神は死んだ』と告げたが、その死に自覚さえ持たなかったという点で、欧米人より日本人にとっての方がはるかに深刻な死だったと言えるかもしれない
そしてもうひとつ思い出した、2021年の年間リーディングも・・・!!!
昨日息子が船便の荷物から引っ張り出してきた絵本も・・・
なにもかも。思い出してるのか、なんなのか。
『ニルヤの島 (ハヤカワ文庫JA)』はSFだけど、「時間」って、すごく・・・
人間の意識は脳細胞の中の、微小管と呼ばれる小さな器官が素粒子を捉えることで存在するとしている。そして素粒子に付随する未知の要素は量子的な振る舞いをしていて、それを常に観測することで意思のようなものが生まれる
人間は過去を知っている。それは肉体が経験したからではなく、この新粒子が、時間軸を反転した世界と我々の世界を繋いでいるからではないか、そう考えたんだ
いちいち書ききれんな。ほんまに、時間って、過去→今→未来じゃないんやな、って思う。
そういうわけで、時間切れ。
幼稚園にお迎えにいかねば!!
S、O、S。
Save Our Ships、私たちの船を助けて。
Save Our Souls 私たちのタマシイを助けて