原題が「Bird by bird」ってのがツボ。かわいすぎる。
「ひとつずつ、ひとつずつ」は英語で「one by one」のはずなんだけど、なんでトリさんなのか。それはアンとお父さんのエピソードから見つけてね。
トリさんぽさを無理やり出すなら「一羽ずつ、一羽ずつ」かな?
鳥って、霊性(インスピレーション)の象徴で、羽=葉はコトバでもある。そういう意味でも「書くことで人は癒される」をうまいことタイトルにしてるなぁ!!と感動。
まだ半分くらいしか読んでないけど、「書くことの喜びとシンドサ」が赤裸々に書かれてて、書くことに悩む私は見事、共鳴&癒されてます。
先週きゅんきゅんしてた、きょーりゅーの本。
地球の「重力」と「植物相」の変化は、前々から気になってて。その辺が細かく分析されてておもしろかった♡まだ、謎は謎のまま・・・でも確か(そう)なのは、きょーりゅーたちが生きていた時代の地球は、重力が圧倒的に軽かった。
なんで重力が大きく変化したのか?
それがまさかの本から「これじゃんよ!!!」と発見。
日本のコメットハンター(彗星探索家)の木内鶴彦氏。
星空ロマンなエッセイかと思いきや、ぶっとび臨死体験と地球の謎にせまる体験談だった。。。もしや、オカルト界隈で有名な人なのかな??
ジュラシックミステリーとも辻褄が合うから、私の地球ミステリーツアーはこの路線で行こう。
★古代文明は地下都市(シャンバラ!)
★地球の主役は植物、それを理解したうえで発展した高度な文明
★全体の調整(コーディネータ)役の生物ニンゲン
★地上では植物相にダメージがない空中移動(UFO!)
★恐竜とニンゲンは同時期に生息していた(実際に化石も発掘されてる)
★月はもともと外部天体⇒地球とバッティング⇒衛星化(1万5千年前)
★月の氷が降り注いで海ができた⇒重力変化&洪水&大量絶滅
★太古の水はエネルギー値の高い真水⇒しょっぱいミネラル豊富な海水
大洪水の記憶がある人(レムリア?)は、あの頃の気候大変動の記憶が紛れてるんじゃないだろーか。それが「神の意志」だとか「天のうんたら」だとかって思想は、今のところ私には、無い。
宇宙の星を見、宇宙を知るということは、
自分たちの居場所である地球を
外側から見る心の目を養います。
地球を外側から見られるようになると、
その中で生きる自分の居場所も見えてきます。
宇宙を知るということは、突き詰めていくと
自分を知ることだと私は感じています。
地母神信仰(大地や植物に敬意を払う自然信仰)は、いつのまにやら天空信仰と分離して弾圧され、蔑まれてしまった。それが今の地球環境(文明の進歩)にリンクしてるなぁ。
そう思うと・・・占星術の進歩に胸が痛む。空に、空に目を向けて手を伸ばすのはひと休みして、また大地に目を向けてる時期が来てるんだろうなぁ。
皆さんが失敗したり、敗北したり、悲嘆にくれたり、
暗がりに包まれたりした時、暗闇こそあなたの国、
あなたが生活し、攻撃したり勝利を収めるべき戦争のないところ、
しかし未来が存在するところなのだということを思い出してほしいのです。
私たちのルーツは暗闇の中にあります。
大地が私たちの国なのです。
どうして私たちは祝福を求めて、仰いだりしたのでしょう
周囲や足元を見るのではなく?
私たちの抱いている希望はそこに横たわっています。
ぐるぐる旋回するスパイの目や平気でいっぱいの空にではなく、
私たちが見下ろしてきた地面の中にあるのです。
上からではなく下から。目をくらませる明かりの中ではなく
栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。
これからはもっとタマシイを育む時代ですぞ。
それはこれまでの「天」を意識するスピリチュアルじゃない。足元の大地をしっかり指先からかかとまで感じ取る、そういうスピリチュアル。流れが変わってきてる。私は、変えたいとおもう。
天のスピリチュアルは、言語化(ロゴス)に特化する方向。ハッキリさせる、光のチカラ。それに対して大地のスピリチュアルは、地味かもしれない。言語化されない「沈黙」。沈黙に耳を傾けて、沈黙のままに受け入れる度量。
もちろん、逆向きのベクトルを取り戻すってのは、光を否定することじゃない。自分を光に同化することなく、かといって対象化して崇めるでもなく、ただ共にある当たり前の存在、くらいに落とし込みたい。
光は力だ。偉大な力だ。
われわれはそのおかげでこうしてあるんだもの。
だけど、光はわれわれが必要とするからあるんじゃない。
光はそれ自体で存在するんだ。
太陽の光も星の光も時間だ。時間は光なんだ。
そして太陽の光の中に、その日々の運行の中に、
四季の運行の中に、人間の営みはあるんだよ。
たしかに人は暗闇で光を求めて、それを呼ぶかもしれない。
だけど、ふだん魔法使いが何かを呼んでそれがあらわれるのと、
光の場合とは違うんだ。人は自分の力以上のものは呼び出せない。
だから、いろいろ出てきたとしても、
それはみんな目くらましにすぎないんだ。
実際にはありもしないものを呼び出すこと、
真の名を語ってそれを呼び出すことは、
ちっとやそっとではできないことで、
だからその術は決して軽々しく使ってはいけないんだよ。
祈りと呪いは同根。+10もー10も「絶対値」は同じ10。エネルギーそのものは同じ。「発酵」ととるか「腐敗」ととるか、でそのエネルギーの発揮され方は全然違う。
鎮魂とか魂振りってのは絶対値を抽出して、それを変換する技術。
それを「物語」で表現している人たちがいる・・・
理屈で教えられなくても、セミナーなんて行かなくても、「無意識の世界にインストール」されるのが物語のすごいところ。だから強くお勧めするよ、良質な読書を!!!
ファンタジー、物語は、そういう今目の前にある現実、当たり前の世界への「疑問」とか 「違和感」を安全な場所で確認できる装置なんじゃなかろうか。
個人が左右することのできないエネルギーって、実際にある。
それは信仰の対象がなんであれ、誰もが「実感としてわかる」ことなんじゃないかな。そこに科学的な照明、数式として表せなくても。
気配とか、社会の大きな気運とか、集団心理とか、そういうの。
それを利用したものが「祈り」であり「呪い」。
スポーツでゾーンに入ったことがある人は「次の一歩進む道筋が見える」とか「切るべき線が見える」とかそういう経験があるかもしれない。
それをこの本では個人がコントロールできないエネルギーが個人個人に作用する「隙」と表現していた(気がする)。
そういう大きなエネルギーと、個人の持つエネルギー(磁場の偏り、縁)のノリと反りを見るのが大昔から人間が想像力たくましく発展させてきた占い・まつり(祭り・祀り)・呪術(おまじないや祈り)なんだと思う。
私も趣味で占星術をケンキューしてる。
エネルギーのノリと反りを利用する具体策も面白いけど、大きな流れに飲み込まれないための「隙」、抜け出す糸口を探しているのかもしれない。
力を持ち知識が豊かにひろがっていけばいくほど、
その人間の辿る道は狭くなり、
やがて何一つ選べるものはなくなって、
ただしなければならないのとだけをするようになる
チカラ、明かされた神秘、コトバ。言語化され情報化された知識のこと。
クリシュナムルティが言う
あなたは、多くの知識を持ってはいるが、心は貧しい。
そして、心が貧しいほど、知識への欲求は大きくなる。
とも通じる。グサーーッッ(笑)
貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆(おお)うことなく、濁(にご)りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のように ただ独り 歩め。
―ブッダのことば
これです、これ。これを心に留めて。
最後に、この絵本で〆る。
そして あるひ、バッタは けついした。
バッタは、おおきな いしの てっぺんで、
ゆうゆうと ひなたぼっこを はじめた。
そんなことを すれば、 すぐ てきに みつかって
たべられてしまうことを、バッタは しっていた。
なのに、バッタは そうした。
***(昔お仕事のブログで書いた文章を引用)***
バッタがした「けつい」は何だったのか、絵本の中には書かれていないんですが、決してあきらめや自暴自棄じゃなかったんじゃないかと、思います◎
(大きいお子さんだったら、バッタの決意がなんだったのか一緒に考えてみるとオモシロそうですね★)
たかくたかくのぼりつめたバッタは、そのあとしたへしたへと落ちていきます。下にはまた「おそろしいものたち」が食べてしまおうと待ち構えています。
そのときはじめて、バッタは自分に「よんまいの はね」があることに気付きます。それまで一度も使ったことのない、自分の羽。
ピンチを切り抜けたバッタに、他の虫たちは「なんだい、あの みっともない とびかた!」とばかにしたりはやしたてたりするんですが・・・
しかし バッタは、なんと いわれようと へいきだった。
じぶんの ちからで とべることが、
うれしくて うれしくて しかたなかったから。
バッタは とんだ、たかく たかく。
じぶんの はねで、じぶんの ゆきたいほうへ、
かぜに のって とんでいった。
どうしたって、現実外にでれば「おそろしいものたち」はいます。バッタは「けつい」しました。そして、危ない目にあってしまう。でもその結果、バッタは自分に元々備わっていた(でも一度も使ったことのなかった)能力に気付きます。
その能力は他のひとたちにくらべれば未熟でみっともないかもしれない。でも、自分の力で、自分のゆきたい場所にとんでいけることがどんなに嬉しいことか、子どもたちは多分わかっています。
歩き始めの子が、よっちよっちと歩くことをただ喜ぶように☆
(良質な)絵本は「こうしなさい」「これが善きことです」のようなお手本をハッキリと言いません。それを見て、読んで、自分はどう感じるのか。どうしたいのか。一旦、手渡してくれる「間」があります。
もしその絵本がいっときの大人(社会)の価値観に従わせるためのものだとしたら、その絵本はすぐに受け入れられなくなります。
価値観の変化って、すごく早いです。自分のお父さんお母さんと話してると、そう思いませんか?(笑)今は「当たり前」の常識が、すぐに「そんな時代もあったわね~」なんてことになっちゃいます。
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私も、自分に叫ぶぞ。
とべ、バッタ!!!!!
そうそう。
こんな良質な読書のような時間を・・・と思って企画した【星の読書会】ありがたいことに満員御礼(^人^) これ、私の「とべ、バッタ!」企画でもあるのです。こわくても、みっともなくても、楽しいし、嬉しい。
Animal Totem Tarotでバッタは0番のカード、愚者!!
はじまりの、はじまり。
まさに!!とべ、バッタ!!である。
おお、ここに繋がった。実は昨日だったか一昨日だったか、Animalさんに言われてたメッセージがあるんだけど、「はて?なんのことやら・・・」と思ってるうちに、ぐるりとまわって愚者に帰ってきた。
はじまりの、はじまり!
やっぱり今月の新月は変容エネルギーが強いな!!!