王☀の帰還!!ふぁんふぁーれ!獅子座の季節がやってきたよ!
(11ハウス、天王星を支配星にもつ水瓶座のキーワード「科学」に対して)
獅子座が支配する5ハウスは、権威や思い込みに囚われない(4ー10ハウスのラインを超えた)ところ。科学の土台になるスタンスだね。
社会が目指す理想的在り方、みんなが思い描く世界観、それを超えたところに踏み出す勇気🔥と知性🌀その火と風はヤワなもんじゃない。不動の火と、不動の風だ。
蟹座の殻から脱皮して生まれた獅子座。
情に流されること、集団主義にNOという選択の自由(つまり、意志ってやつ)を手に入れた獅子座の視点。
水瓶座✕獅子座ラインの「倫理観」をゴリゴリと深める本だ。
崩壊する王国に投げ出されて、私たちが向き合わされるのは自らの「幼さ」なのかもしれない
蟹座から生まれる獅子座。
♋全体性の重視、均質化⇨♌自我、個性、オリジナリティ
獅子座の「個性」って凸の部分(はみ出た魅力)ばっかり注目されちゃうけどさ、凹もまた獅子座のいう個性の一部なんだよね。
最近は発達凸凹も「個性」と表現されるから、「まぁ、そーだよね」ってハナシではあるんだけど。こと「魅力」という意味での個性、獅子座の表す「らしさ」とか「輝き」のハナシになると、凹部分がすっぽり抜けてる印象。
凸であれ凹であれ、クレーター現象ですよ。
凸なのか凹なのかどっちかが真実ってわけでもなく、どっちも錯覚なわけだけど。
獅子座的にはどっちも錯覚でイイわけで。
「何が真実か」ではなく何を「真実たらしめるか」が重要。
『自分という役者の魅力と資質を存分に発揮できる演技をすること。
自分を生きるってこと。
生命力を燃やすってこと。』
いつか舞台を降りるとき - STAR SHIP☆星読み航海図
演者の腕の見せ所ってのは、いかに「真実っぽさ」を創造するかってことじゃん。いかにリアルよりもリアルな印象を与えるか。
だから凸でも凹でも、実はフラットでも、錯覚でOKなわけ。
それを肉付け(意味付け)するのが、獅子座。
意味づけする、意味を見出すってのは、そこにストーリーを生み出すってこと。
生命力、生きる活力(=獅子座)ってのは、生きている意味をベースに燃えているもんであって。獅子座は意味づけすることで生命力の火力を大きくしようとする。
獅子座は生命力の中核、太陽のサインやで。
そんでもって、それは錯視のようにあるようでないもの。
自分らしさは、ホロスコープの中にはない。
(描かれていない)
月と太陽は、新月・満月でいちいち注目されるように、つねにぐるぐると更新されている。いや、他の星もそうだけどさ、月の「生(はじまり)と死(おわり)」の表現は特にわかりやすい。
「私らしさ」は常に更新され続けてる、ってこと。
新月で始まって、満月で達成する。そしてまた欠けていって、トキが巡る。
自分らしさってのは、自分をどう表現するのかってこと。どんな物語の「過程」として今の状況とそこにいる主人公の自分を見つめるかってこと。
ライツ(=自分らしさ)は更新し続ける「物語」 - STAR SHIP☆星読み航海図
生命力を強くするグランドクロスの一角、獅子座は、生きる自覚を促すエネルギー。
だからこそ、獅子座のシーズンってのは「生」と抱き合わせの「死」に向き合うタイミングでもあるんでないかな。自分の生を支える数多の死、故人のいのちに想いを馳せるお盆シーズン。
あと、これも太陽と月の2本柱のハナシにもつながるなって思ったの。
獅子座の太陽が、自分の月を照らす。
月は過去、そのポータルは身体、身体の記憶。
身体の記憶は故人との結びつき。
そこに深くダイブするのは蠍座だけど、月の支配星蟹座の4ハウスはルーツ。
獅子座のシーズンに先祖供養をする(月を照らす)ことは、自分自身の生命力を燃やす儀式でもあるのかも。
自分という役者の魅力と資質を存分に発揮できる演技をすること。
自分を生きるってこと。
生命力を燃やすってこと。
Let it goを「ありのまま」と訳してしまう日本の感覚を人間関係に持ち込むと、素でいることがイイこと、素を出せる関係性が理想、になっちゃう。
もちろん、自分の気持ちに嘘をついたり抑え込んだりして繋がる関係性は健康的じゃない。
でも、演じている自分(母である私、娘である私、姉である私、同僚の私、エトセトラ)にその人らしさがいちばん出ちゃうわけで。それを含めて受け入れちゃっていいじゃないか、と私も思うよ。
なんてったって、「私らしさ」の輝き、太陽を支配星に持つ獅子座は「演じる」表現者のサインですもの。
獅子座ってのは蟹座から生まれるサイン。
蟹座は「ワレワレ」という共同体のカテゴリー。蟹座は水のサイン。水は一滴一滴に差異は無い。あったとしても、それを一色に統一しようってのが蟹座ね。
その一滴が、「主人公」という演技を通して「自我」を育てていくのが獅子座ステージ。主人公ってのは、物語を「私の目から見た世界」として切り取る。私目線を確立する、自我を大きくしていく。
「自我」はエゴのこと。
エゴと言うとなんだかワガママだとかケツの穴のちっちぇえやつだとかって人に使われるコトバのイメージなんだけど、占星術ではエゴはその人が生命力を発揮するために重要なファクターとして扱われておるんです。
「個」とか「自立」をヨキものとする西洋的な価値観が影響してるのかもしれんね。
でも東洋的な価値観で「自我」がよろしくないものかっていうと、そういうもんでも無さそう。仏教では個への執着はブッブーだけど、それは「自我が小さいから」と表現している。
自我を大きくしていく(より広い範囲の世界を自分ごととして捉える) ことで、「大我」とか「ハイヤーセルフ」の世界観を体得するってイメージ。
(中略)
自我の「拡大」と言うと蟹座の方向性、世界観になるかなぁ。
獅子座はその自我の中心点を定めようとしているイメージだろうか。
どこに「主人公」を据えるか。
それが占星術の太陽、獅子座の支配星の示すところ。
最初っから「カンペキなオリジナル」なんて、ないんですよ。そりゃ、唯一無二であることは否定しない。でも唯一無二であることを確信するには、他との「差異」がどこにあるのかが必要になる。
ちなみにこの「唯一無二」VS「他者との比較」の掛け合いは、1ハウス/牡羊座VS7ハウス/天秤座を結ぶラインのこと。
ワタシはワタシ=ワタシはアナタではない
を語るのがこのライン。
(中略)
じゃあ獅子座の自我、オリジナリティ、アイデンティティはなんなんだ、ってところに戻る。それは演技なんじゃないか、って私は思う。
「私はこう生きる」と想う自分の姿を、自分で演じる。
それは無意識の海(=4ハウス、蟹座の世界)から飛び出すこと。
鏡で完全コピー(=月)して、したつもりで、それでも「はみだしてる」部分に気付くこと。そこに「個性」を見つけて、その種を発芽させること。
ジオセントリックと言われる占星術のこのチャート、地動説の世界が描かれているわけです。外から見れば地球は太陽の周りをまわってる天体の一つなんだけど、ワレワレは動く太陽を見上げている。
太陽は、ほんとは自分自身じゃない。
見ているワレワレは地球にいるから。でもそこに「自分らしさ」を見出して、地球であるワレワレが太陽を自分の姿として演じる。
植物が芽を伸ばす方向。火が昇る方向。
憧れ、意欲、目的意識。
それは夜眠っている時(=無意識)には見えていなかったもの。
演技、演じるというコトバは英語でPlay。
音楽もPlay、遊ぶこともPlay。スポーツも。
表現して、楽しむこと。5ハウスの領域を言い表してるね、まさに。
そして5ハウスには「恋愛」って意味もある。
恋愛は演劇!
シチュエーションが決まってて、それを演じているわけだからね。彼女と言う役割を自分なりに表現して楽しむのが、恋愛。
恥ずかしがらずに楽しむコツは、役にはまり込むこと(笑)