地球LIFEを味わい尽くす占星術

占星術を、マイ地球Lifeを客観視するためのフレームワークとして遊んでみよう。

 

Horoscope

カテゴリー分けされた性格診断や運勢といった類ではなく、「地球ライフの構造(仕組み)を記号化(図示)したもの」としてホロスコープを読む。

 

仕組みを学ぶってのはどういうことかというと、特定の問いとそれに対する模範解答を教えてもらうんじゃなく、出題傾向の全体像、構成を学ぶことに近い。

 

例えば英語の試験、TOEICはリスニングセクションとリーディングセクションのふたつがあって、それぞれのセクションはpart1やpart2といったパート分けがされております・・・それぞれのパートの特徴(趣旨)は・・・みたいな!

 

 

これまでブログ書きながら発見してきたことを全部盛り込んで、ひとまとめにしてしまいたいなぁ。となると、ボリューム的にはてブでもnoteでもデカすぎになっちゃう。【暦の術プロジェクト】みたいにマガジン形式にしていくつかの記事でくくるとか?

 

前に姉ねぇと話してた、宇宙ステーションの駅構内マップ化プロジェクトにも絡めて・・・(* ̄ー ̄)占星術だけじゃなく、フラワーエッセンスのコトバも借りた、「世界」の情報模型。

 

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何枚も何枚も断面図を重ねた、航海図。

目の前のリアルに繋げる応用編、暦の術プロジェクトもここに。

 

と、きょうも赤子を左腕に抱きながら、右手でがんばって文字文字入力さ。しかし明日から春休み・・・もうすぐ引っ越しも控えてるし、どうプロジェクトに取り組もうか。。。

月と火星と蟹座のハナシ

フロイトエディプス・コンプレックス占星術切りしてて、そうかそうかと腹落ちしたこと。

 

潜在的な(無意識に沈みこんだ)恐怖。いのちの居場所を失う恐怖。恐れ(月)からスタートする地球ライフ。

 

ああ、そうか。

人はみんなマイナスからのスタートなんだ。

不安や恐怖からいのちが始まる。のほほんと安心しきって満ち足りた状態ではない。赤ちゃんってそうだよ。「助けて!(空腹、不快感、恐怖)」を必死に発信して、し続けて、それに対するフィードバックをもとに「安心」とか「心地よさ」を学んでいく。

 

占星術で0歳から始まる最初の天体が月なのは、そういうことだ。

月のキーワードは「安心」と「不安」両方あるけど、不安ありきの安心ってことだ。不安や不快感から地球ライフの最初の実感が始まって、そこから快適さだとか喜びを見いだしていく。

 

そう思うと、赤ちゃんとの関わりで大切なのはいかに脳や身体の発達を早く成長させるかじゃなく、いかに不快感や不安を取り除いて善のフィードバックを与えてあげるかってことになるな。

 

この世界は怖くない。

私は安心して生きることが許されている。

 

心地よさ、生きることを無条件に受け入れられる安心感を学ぶのが月の年齢域ってこと。

自分が生きることに「意味」も「条件」も不要。助けて!しか言えずに(それすら上手く伝えられないんだけど)眠ることも食べることも何もかも下手くそな赤ちゃんが、それでも「産まれてきてくれてありがとう」って迎え入れてもらう経験、これがいのちの土台になる。

 

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月の軌道の段階で言えば、「生きる」ことに理由や理屈も、喜びや感動的な原動力も、目的意識ややりがいも、必要ない。それはおいおい水星や金星、太陽の軌道で付け加えていくこと。

 

根本的に、生きることに条件なんてなくて、ただ「生きていること(生存)」「この世に命の根を張ること(安全の維持)」が重要なんだわ。

 

オトナになった今でも、月の軌道は自分の最奥にある。

最奥の軌道は自分じゃ自覚できないけど、そこに何らかの方法でアクセスすることで軌道修正ができる、ってのが精神療法、フロイトの発見した無意識へのアプローチ。

 

ただ生き延びることすらできない最弱の自分。

必死に助けを求めることでしか世界と接点を持てない自分。

 

そんな自分こそが、最も愛される存在だってこと。

いのちの根元的な部分、なにより尊い存在だってこと。

 

 

不安と恐怖から地球ライフが始まる。

いのちの根元は純ネガティブなパワーだった。

この仮説はポジティブ信仰の人たちには受け入れがたいだろうなって思う。でもすごくおもしろい説だし、我ながら良い発想だとひとりフムフムしてたら・・・

 

 

続きを読み進めて発見した、フロイトのコトバ。

誕生という行為は、はじめて経験する不安だ。

よって、不安の根元であり原型である。

なんだよ!やっぱり先人は偉大だな。凡人の私が思い付くことなんて、当然もう既出ってわけでした(^-^ゞ

 

それにしても

誕生=不安の原型

って部分は月というより火星案件だな!

 

天体の年齢域は月でスタートするけども、私は「誕生の瞬間、月の入り口には火星がある」と考えてる。(これは誰も言ってるの聞いたことないから、きっと新説になるはず!!笑)

 

ホロスコープの円環で地球ライフの現場を表すハウス、その最初の「始まり」を示すポイントが1ハウス起点のAsc。地平線と黄道の軌道との接点。

太陽(=生命力を注ぎ込むエネルギー源)が、最初に地上に光を差し込むフィールド。光射すその瞬間、その境界線が「誕生」を象徴するAsc。

 

光射すってことは、その手前は光なき世界だったってこと。1ハウスが生者の世界の始まりであるなら12ハウスは死者の世界。

 

生者の世界、始まりのフィールド1ハウスを象徴するサインが牡羊座

牡羊座の支配星が、火星。

 

生まれる前の暗闇、胎内の12ハウスは究極の安全圏。

そこに個としての「私」はいなくて、母と一体化して守られてる状態。原初の海に漂い、35億年の生命の記憶に(もしかしたらもっと先の、地球や宇宙の星の記憶に)まだ繋がってる状態。

 

12ハウスと1ハウスの境界線で、へその緒をパチンと切って「私」を分離、誕生させるハサミが火星なんじゃないか?

 

産まれるって、ものすごいエネルギーが発揮される。母は出産の凄まじさを体感するわけだけど、赤子だって命がけであの狭い産道をくぐり抜けてくる。頭蓋骨を変形させながら!

 

その爆発的なパワーは、やっぱ火星だと思うんだ。

押し出すチカラ、現実を動かすチカラ。

 

月と火星が裏表にあるって目で見ると、「怒りは二次感情」ってことも納得。怒りの裏には不安とか恐れとか、認めたくないもの押し出したいものがある。

 

 

フロイトのハナシに戻ってみると・・・

人間を動かすチカラ、基本的な本能は「性エネルギー(リビドー)」と「攻撃性(タナトス)」だって言ってるわけで。月は性(生命力を維持しようとする本能って意味での性)、火星がタナトスにあたるんじゃないかな。

 

 

さてさて赤子との暮らしが始まって実感するのは、ホルモンバランスにもろに影響を受ける感情(笑) どれだけ「頭じゃわかっちゃいても」心の部分が反応しちゃうんだよね。

 

産後ガルガル期(母猫のごとく攻撃的になる)だとか、上の子可愛くない症候群だとか・・・

 

ニンゲン、頭で生きてるわけじゃねーんだな、と強く強く思い知る。

 

ここでも発見する、愛情と攻撃性は裏返しだってこと。

赤子を守りたい本能が、ひっくり返せば攻撃性になる。有名なホルモンがオキシトシン。愛情ホルモンといわれて、愛おしさだとか癒しを感じるホルモン。と、同時に・・・外部の驚異に対する攻撃性を高めるほるもんでもある。

月と火星を象徴するかのような働き・・・!

 

オキシトシン占星術でキャラクタライズするなら、蟹座の火星じゃなかろーか。月の支配星であり、母性の象徴、居場所を守るために動く活動宮のサイン。

 

 

そしてこの記事を書いているタイミングで、「そういえばもうすぐ火星が蟹座に入室する特徴的な星回りだった!!」と気づく。これは途中でギブアップせずに(そういう下書きがいくつもある)書ききらねば、とせっせと記事をしあげにかかっておりますぞ。

 

 

蟹座的な攻撃性ってのは、排他性にあるんじゃないか、と思う。

母性と言えばユングの言うグレートマザーのアーキタイプを思い浮かべるから、囲いこむ性質、呑み込む性質が結び付くんだけども。その逆の、排他性。退けようとするチカラ。

 

BOOK CAFEそらふね『昔話の深層』 - STAR SHIP☆星読み航海図より

 

ウチとソトを分ける。守るべきものをハッキリさせるために線引きするような性質、「排他性」こそ注目ポイントなんじゃないか。

 

そしてこの愛と憎しみを生むオキシトシンが、ホモサピエンスを進化させ社会をここまで発達させた「つながるチカラ」であり、同時に戦争や差別、痛ましい歴史を生んだ「凶器」にもなったなんじゃないか、ってのが・・・あの本でも書いてあったっけ!!

 

 

火星蟹座期に向けて読んでおきたい一冊。

そんな時間がねぇ!って人は、ぜひぜひnoteの紹介記事だけでも!!

↓↓↓

note.com

 

例えば過激な陰謀論者はそのほとんどが「善意で」行動を起こし、敵認定した対象を攻撃する。子育て世帯の自然派ママ、肉食反対の血気盛んなベジタリアン、彼らも蟹座火星的エネルギー(オキシトシン)に突き動かされていると思うと、納得。

愛情と攻撃性(排他性)は裏返し。

 

それ自体は責めるべきもんじゃない。

でも悲劇を繰り返さないためには、蟹座の火星に振り回されちゃいけない

 

蟹座の「感情を映しとる水の性質」に注意が必要。

 

戦争を過激に進めるのは、正義感や正当性(思想、イデオロギー)だけじゃなく、愛情でもある。大切な人、大切なもの、場所を守りたいという気持ちが敵を生む。ルトガー・ブレグマンは「共感は私たちの寛大さを損なう」と言う。犠牲者に共感するほど、敵をひとまとめに「敵」とみなすからだ。

 

BOOK CAFEそらふね『Humankind希望の歴史~人類が善き未来をつくるための18章~』|珠楽(tamarack)とと子|note

 

情報が錯綜する双子座の火星シーズンからの、愛情の裏側にある排他性に向き合う蟹座の火星シーズンへ。

 

思考停止した人は、自分を変えようとしない。自分が偏見ゴリラになる(なっている)可能性ってやつを否定する。レッテル張りをする。責任転嫁をする。

 

情報を収集・拡散を「自分抜き」にしている大多数のワレワレは、そうとも知らずに地獄を作る素質がある、ってこと。

 

情報が多いとか悪いとかそういうことじゃなくって。

まず「自分は」どこの誰でどんな経験をしてきてどんな考え方や価値観をもった人間なのか、「自分視点」ありきで情報に向き合おう

 

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蟹座のフィールド、4ハウスは足場のハウス。

自分の依って立つ足場。今私はどこに立って、どっちのほうを向いているのか。その発信者はどんな立場から、どんな視点で、どこに向かって語りかけているのか。

双子座の火星シーズンは、ひとつ先のサイン蟹座の「足場」がヒントになっていた。

 

ってことは、次のシーズン私たちが火星エネルギーとうまく付き合うヒントをくれるのが、獅子座なのかもしれない。

 

「みんなにとって良いこと」を個人にプッシュするのは危険だってこと。それが例え善意や愛情ゆえの考えであっても。それは全体主義ホロコーストに向かった思想)を引き寄せることを忘れちゃいけない。

 

全体主義

みんなの「イイネ!」がひとりひとりの「イイネ!」より優先されるべきって考え方。ひとりひとりは全員、みんなという共同体のために存在している。

 

自分の立ち位置、所属先(蟹座フィールド)からスタートするんじゃなくて、自分自身がどんなニンゲンなのか、どんな偏見やカタヨリを持ったニンゲンなのか、自覚することからスタートする。

獅子座は、蟹座の殻からはみだしたカタヨリです。

 

 

そんなわけで、火星が移動する前に!!走り書きリリース、でした!

あの世とこの世の境目に、私という物語が浮かび上がる(そんなトキ)

kotokotoba.hateblo.jp

 

↑の記事に占星術的コメントを追記するなら、『雲の下と雲の上を繋ぐ存在』ってのは、魚座牡羊座の境界線・・・私の存在そのものを指す、Asc。あの世とこの世の境目に、私は存在する

 

 

その私という存在そのものを、星々という記号に託された『物語』として読むのが好きだった。

 

『持って生まれたもの、個性』というと、定まった固定的なものをイメージしてしまうけども、ホロスコープはもっと四次元的というか奥行きのある流動的な『生命力の質感』を記号化したもんなんじゃないかって思う。

 

私はそれを『物語』として読むのが好きなわけで。

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魚座味の強まるトキだからこそ、

雲上雲下を繋ぐ物語として自分を生きよう

ってメッセージ。

 

 

詳細にホロスコープでトキ読みはできてないのだけど、暦の術は生きて(活きて)るよ!私個人は、コトバに囚われない分むしろ体感が強まってるような気もする。

 

コトバで伝えることはできてないけど、言語外の伝染力で何かしら伝わる人には伝わってるんじゃないか、とすら思う。そういうトキだもの。

 

海の怪物の腹に吞み込まれた星が、内側に広がる外側の世界にオドロイタってハナシ - STAR SHIP☆星読み航海図

魚々してる過去記事↑

そこから一部引用して再掲↓

 

そうそう、因果律(原因→結果と直線的に捉えられる、因果関係で理解する世界)の外側にある層。

 

私たちが「わかる」レベルってのは、因果律レベルの層と、その内部に展開しているもっと内側の層だけ!知識としてはその外側の層も「存在を知る」ことはできるだろうけど、たぶん、「現実として把握する」ことは出来ないんだと思う。

 

だから「占い」は、内側しか見えてないワレワレが外側のルールに触れるためのひとつの手段なんじゃないかね、って思うのよ。


f:id:kotokotoba:20230304164152j:image

 

雲の上と雲の下の境界線、そこにあるのは。風ってのはなにかが「ある」わけじゃないよね。風、っていう物質は存在しない。ただ温度なり高低差なりなんなりのギャップがあって、その間に流れる「関係性」が風なの。

 

風の時代ってのは、そういう部分が中心になる時代ってこと。

てことは中心にはなにもない。

中空構造を生きるってこと。

 

占星術も中空構造。

占星術と言う人工言語 - STAR SHIP☆星読み航海図

 

 

chatGPTにサビアンシンボルの物語を作ってもらったよ!

プロンプト(指示文章)はこれ↓

Can you generate a story of a chubby playful boy, including the keywords below?

•A girl takes her first dancing instruction.
•A girl blowing a bugle.
•Children playing around five mounds of sand.
•An albatross feeding from the hand of a sailor.
•Three stained-glass windows in a gothic church, one damaged by war.
•Indians - some rowing a canoe and others dancing a war dance in it.
•A mature woman reawakened to romance.
•An Indian weaving a blanket.
•A little child learning to walk.
•Pheasants display their brilliant colours on a private estate.
•A glass-bottomed boat reveals under-sea wonders.
•The pope blessing the faithful.

a chubby playful boyってのはAscのサビアン「A chubby boy on a hobby-horse」のこと。彼を主人公にして物語を作って、と指示。箇条書き部分は10天体プラスノード軸のサビアンそのままコピペ。

 

chatGPTの返答↓日本語訳は私が追記

Once upon a time, there was a chubby playful boy named Tommy who lived in a small coastal town. He loved nothing more than playing outside with his friends, exploring the beach and imagining all sorts of adventures.

あるところに、トミーというぽっちゃりボーイが海辺の町にすんでいました。彼は友達とそとで遊ぶこと、浜辺を探検すること、そして色々な冒険を夢想することが何よりも好きでした。

One day, a new girl named Emily moved to town and joined Tommy's class at school. She was shy and reserved, but Tommy was determined to make her feel welcome. He invited her to come along with him and his friends to play around the five mounds of sand on the beach. Emily hesitated at first, but soon she was laughing and having a great time with everyone.

ある日、エミリーという女の子が町に引っ越してきて、トミーの新しいクラスメートになりました。エミリーはシャイで引っ込み思案な女の子でしたが、トミーはそんな彼女が自分達の輪に馴染んでもらえるようにがんばろうと思いました。海岸の5つの砂山の周りを遊ぶのにもエミリーを誘いました。彼女は最初戸惑っていましたが、すぐに笑顔が見られるようになり、みんなと楽しいときを過ごしました。

As they played, they noticed an albatross feeding from the hand of a sailor who had just docked his boat nearby. They ran over to get a closer look and Tommy even got to feed the bird himself. Emily was amazed at how close they were to such a magnificent creature.

遊んでいると、すぐ近くに船を停めている船乗りが、手でアホウドリにエサをやっていることに気がつきました。みんなでその様子を見に近くまで行き、トミーは自分でも餌やりを体験させてもらいました。

Later that week, Tommy's class went on a field trip to a gothic church. There were three beautiful stained-glass windows, but one had been damaged by war. Tommy felt sad to see such a beautiful piece of art ruined, but his teacher explained how it was a reminder of the cost of war and the importance of peace.

その週の後半、トミーのクラスはゴシック式教会まで遠足に行きました。その教会には美しいステンドグラスがはめこんでありましたが、戦争によって破損していました。トミーはこんな美しい芸術が破壊されたことを悲しく思いましたが、先生は、こうして戦争の爪痕を残すことは平和の大切さを忘れないためでもあると教えてくれました。

After the field trip, Tommy went with his family to a local fair where he saw Indians weaving blankets and others rowing a canoe. Some were even dancing a war dance in the canoe! It was so different from anything he had seen before.

遠足のあと、トミーは家族で地域のお祭りに行きインディアンがブランケットが編んでいたり、カヌーに乗って戦いの舞を踊っているのを見ました。それはこれまでに見たこともないものでした。

As he grew up, Tommy witnessed many more wonders. He watched as a little child learned to walk, marveled at pheasants displaying their brilliant colors on a private estate, and even went on a glass-bottomed boat to see the undersea world below.

大きくなるにつれ、トミーは更に様々なことを目にしました。小さな子どもが歩き始めるのを見守り、私有地でキジが羽色を輝かせるのを見て驚き、またガラス底のボートに乗って海底の世界を見物したりしました。

Years later, as a mature woman reawakened to romance, Tommy found himself reflecting on all of these experiences. He realized how much they had shaped him and how grateful he was for each and every one of them. Even seeing the pope blessing the faithful felt like a moment of wonder and awe.

年月が経ち、ロマンスが再燃した熟年の女性のように、トミーは自分がこれまで培ってきた経験すべてが自分のなかに映し出されていることに気づきました。そのひとつひとつが自分自身を形作ってくれていることに気付き、感謝の気持ちでいっぱいになりました。法王が信者を祝福しているのさえも、感動的な心持ちでその瞬間を眺めていました。

And through it all, Tommy never forgot the joy of play and imagination that he had discovered as a chubby, playful boy. He hoped that others would experience the same sense of wonder and curiosity that he had, and that they would never stop exploring the world around them.

トミーはぽっちゃりとした好奇心旺盛な少年時代の遊び心と想像力を、決して忘れることはありませんでした。この未知への好奇心、彼の経験した人生のおもしろさを他の人にも味わってほしいと願いました。終わることのなき、この世界の探求を。

なかなかおもしろい!

好奇心と冒険心をもって世界を経験・体験しようって感じが射手座Ascに射手座太陽、双子座の月っぽくないかい?Tommyって名前も、すんでる場所もリアルに近いし笑えた(笑)

 

ほぼ一日中、赤子に乳と左腕を拘束されておるもんで、こうして空いている右手と目でAIと遊んでますぞ。すごいね、語学に活かすとものすごい便利(すさまじく効率をあげてくれる)というか、語学に限らず学習スタイルがこれまでとは全く違うものになるね。ただ答えを求めて質問するだけ、じゃもったいない。

それについては語学ブログで書く・・・かな?

心の長椅子に・・・腰かけようとお尻を浮かしたところ

たしか、姉々が紹介してた本!

 

占星術と関わりが深い心理学といえばユング派なんだろうけど、「無意識」っていう見えない世界を発見したフロイトの説もおもしろい。見えないし、誰も気づいていないのに、自分達の行動を大きく動かしているチカラについて。

 

一般的なイメージだと、なんでもかんでも「性的欲求」に結びつける極端な説って印象が強いと思うんだけど、ちょっと印象が変わった。まず「性的欲求」ってことばのイメージと、心理学的なことばの指すエネルギーの意味合いがズレてるのかも。

 

確かに肉体的快楽もそうなんだけど。

もっと根元的な、他者を求める生命力のようなものを指してるんじゃないのかな。

 

生命力タービンをまわす「攻撃性」「性的欲求」

生命力ってのは、タンクの中にたぷんと溜まって「ある」ようなもんじゃない、と私は思うんだ。ガソリンみたいに、補充したり減ったりするもんじゃない。

そうじゃなくて、自分と自分以外の何かのあいだに循環する流れ、運動みたいなものが光や熱を生み出すエネルギーになるんじゃないかって。タービンやコイルがぐるぐる回って電気ができるみたいにね。

 


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レモン電池って、ふたつの違う種類の金属がある液体を介して触れあうことで電気を作るでしょ。ふたつの違う種類ってのが、ミソだと思うんだよね!それは、他者(自分とは別の存在)であるから、意味がある。

 

電解液は、私たちが生を受けた宇宙っていうフィールドだ。

時間と空間をかけあわせた座標P。

 

往古来今、之れを宙と謂ひ、四方上下、之れを宇と謂ふ

-中国の古典『淮南子』より

 

宇=場、空間の広がり

宙=時、脈動するリズム

 

この電解液のなかで、「私」は「あなた」に出会い、そこに発生する循環するエネルギーが、いのちを動かすパワー、生命力なんだ。

 

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2種類の金属ってのは、私と誰か(何か)なんだけども、それって抽象的に言えば陰と陽ってこと。分かりやすい記号で言えかえれば、男と女。

 

男と女の間に働く引き合うチカラってのは「性的欲求」だよね。

その欲求こそがニンゲンの行動の大きなモチベーションだ、っていうのがフロイトの視点。

 

異性を求めること(性的欲求)は生命力を生み出そうとする本能を指しているって思って読むと、なかなかオモシロイ!!

 

そんで、私の「生命力仮説」を本にこの本で説明されてる心の仕組み、フロイトの視点を占星術切りしてみると・・・(〃∇〃)

 

フロイトは「性的欲求」と「攻撃性」こそがニンゲンの行動に影響力を与えるエネルギーなんや、と考えた。これって、火星のこと♂ですな!

 

性的欲求ってのは、異性を求めるエネルギーだから、♂と♀の間に働くチカラだ。

男♂と女♀、火星と金星。

火星だけを見れば追いかけて動く一方的な働きだけど、受ける側の金星あってこその働きだから、両者の間に起こる「引力」としても見れる。火星は金星と繋がることで発動する引き合うチカラの一側面

 

そんでもって「攻撃性」については火星のイメージそのものかな。

退ける、押し出す、抵抗するチカラ。

 

引力と、排斥力・・・反対の働きのようにも見える。でもこの正反対のチカラの間に揺れ動く、ジレンマこそが生命力の姿なんだってことを、過去記事でアメーバの生態を通して考えたことがあったっけ!

 

引き寄せ合うか、共食いするかってあやういバランスで活きている生命体アメーバ。これって、人間のコミュニケーションのジレンマにとっても似ているんだよ。

 

ひとつになりたい(統合)、個として生きたい(分離)の反発し合う磁力がゆらゆらと動きながらバランスを保ってる世界。生命はジレンマで出来ている。(笑)

 

ジレンマ、は日本語で「板挟み」だけど、板挟みだとぎゅっと固定されているから感覚としては違う。もっとダイナミック。常に動いているから、静止しているように見える。常に不安定に変化しているから、安定することができる

 

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今回読んだフロイト派心理学者チョン先生の本は、タイトルが『こころの葛藤はすべて私の味方だ』でしょ。ジレンマ(葛藤)こそが生命力の姿だ、って視点で言えば、当然「私の味方」、というかそのジレンマがむしろ私を形作るエネルギーそのものだって言える。

 

上の過去記事でも、攻撃性としての火星と金星の関係性について、「愛と暴力は表裏一体」っていう誤解を招きそうな見出しで書いてたっけ。それは今回話がそれちゃうから、ここで引用しないけども。(私的には結構おもしろいアイディアだから、ぜひリンク先の記事を読んでみてね!)

 

フロイトの考える「意識」の仕組み

おなじみ氷山の例えで説明される意識と無意識。

Iceberg

水面上に見えている部分が意識、自覚できる心の動き。これは氷山のほんの一部にすぎなくて、水面下には大きな氷の塊=無意識が広がってるんだよ、ってハナシ。

 

フロイトによると、この意識と無意識の中間には「前意識」という層がある。普段意識されることはないけど、思い出そうとすれば思い出せるレベルの無意識。氷山の浮かぶ海の浅い部分だな。顔を水につければ、なんとか見える範囲。

 

無意識部分は、顔をちゃぶんと水につけただけじゃダメ。ダイビングして冷たくて真っ暗な海に潜らないと何がどう広がっているのかわからない。

 

さてフロイトは、人間の原動力(行動を左右するもの)は、この無意識の海に沈められた「受け入れがたく苦痛となるもの」だと考えた。そんでもって、その根本にあるのは「性的欲求」と「攻撃性」なんだ、と。

 

無意識の世界は非論理的で、快楽をベースに判断する。幼子のように。

一方で意識は現実をベースに、理性でもって合理的判断をしようとする。

 

占星術で無意識、そして本能的欲求を表す天体は

それから月は「幼少期・子ども」も指す。意識と無意識が太陽と月で表されるように、その思考パターンは大人と子どもの対比に例えられる。理性や知性を司るのは水星だけど、その水星のひとつ前の段階が月だからね。

 

人は水星の年齢域(7歳〜15歳)を通過して論理性を育んでいくわけだけど、無意識の私は水星期よりも前、月の世界観(〜7歳)のまま留まっているってわけ。

子どもと喋ってたらまさにそんな感じなんだけど、月の論理はつじつまがあわないし、実に非合理的(笑)大人の思考パターンに沿って考えるとでたらめでカオスにすら思える。過去や未来といった一定の時間感覚もない。

 

これは海王星案件だな。月と海王星は呼応しているから。

夢だったり空想や幻想に無意識が顔を出すのは、やっぱり海王星の水脈が無意識の海に繋がっているからだと思う。

 

 

それからフロイトは更に深堀りして、自分の中に3つの自分がいる、と考えた。

欲望の代弁者「イド」、理想やモラル、良心の代弁者「超自我」、それからイドと超自我の仲裁役として妥協点を見いだそうとする「自我」。

 

イドは月、本能のままに欲求を満たそうとする私。

超自我はジミニー・クリケット!理想とする世界観をもとにあるべき姿、態度を指南する。

Disney Jeu D'atout Ducale- Jiminy

 

いのちを吹き込まれたピノキオは、本当の人間の子どもになるためにジミニー「超自我」から良心を学ぶ。んでもまぁ、ピュアなピノキオ、「イド」は言いつけを守らずにヤバい状況に陥っちゃったりするんですけどね。

まさにそんな感じで、「超自我」の方には口出しは出来ても行動の決定権はない。

 

超自我カタカナ語に書き換えればスピリチュアル界隈でおなじみ「ハイヤーセルフ」なんだけども、ハイヤーセルフってのはつまり「自分のうちの高邁な精神部分」のこと。その声がなんであれ、イドの欲求が行動を決める。

 

じゃあ、自我は?

そこで自我が登場する。イドの欲求と超自我の理想に折り合いをつけるのが自我。自我のチカラが弱ければイドが気ままに走り回ってしまう。

 

自我はカタカナ語で「エゴ」なんだけど、私たちは普段使う「エゴ」ってことばは、ほとんどイドのほうを指してるんじゃないかな?ほんまもんのエゴは、欲求と理想のバランスをうまくとるチカラなんだ。

 

感情(無意識)と理性(意識)の力関係の例えで、馬車がでてくるでしょ。

馬車

 

馬車にのっているのは行く先を指示するハイヤーセルフ、超自我。彼の中には進むべき道、方向性が見えている。その馬車を動かすのはお馬さん。お馬さんは動物ですからね、動物的本能の象徴でもある。その馬を理性という手綱で制御する御者が、自我。

 

フロイトの説が避難ごうごうだったのは、その時代「人間は理性で行動する(べき)」と考えられていたから。馬車を動かしているのは御者じゃなくて馬なんだぞ、と看破したフロイト

 

馬力は人間の腕力と比べ物にならんくらい強い。

御者は馬車を動かしてるんじゃなくて、実のところ馬の動きをセーブしたり方向をかえたりするだけ。馬は思うままに走ったり、止まったりする。

 

「意識は『NO』ということだけしかできない」ってハナシを昔書いた気がするんだけど、どの過去記事だったか掘り出せない。。。

「自由意思って、本当に存在するのだろうか」と物議を醸し出したベンジャミン・リベット博士の実験。私たちは「こうしよう」と意思でもって行動を決定していると思ってるけど、実はそうじゃないかもしれないってことがわかった。

 

めちゃくちゃざっくり言えば

こうしよう、と考える0.5秒前に既に身体はその行動を起こしている。

って実験結果が出ちゃったってこと。

 

脳の神経細胞の活動が意思決定よりも早く発火していたってことなんだけど、脳もからだの一部、臓器のひとつだからね。身体が先んじているってふうにも読める。

 

身体は無意識の表現者

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だから意識ってのは先陣切ってさあやるぞ!って身体をひっぱってるんじゃなくて、あくまでも御者だってこと。馬が動きたいと思ったときに、動いてヨシとするか、止めようとするか。つまり選択肢はNOしかないってこと。

 

イド、超自我、自我の三つ巴を占星術の天体に当てはめてみると・・・

結果どういう行動にでるかってのは、火星が月とタッグを組むか太陽と組むかで変わる。

 

月と火星の関係について発見したハナシ↓

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超自我ハイヤーセルフ)に出会う過程

自分の理想や夢を達成させるべく指南する超自我の指針、価値観は後天的に作っていくものってのがフロイトの見方らしい。それは両親や社会から学ぶ、現実世界を善く生きるためのルール。

 

この点、木星土星味を感じる。モラル(善)の木星と、ルールの土星

超自我は、地球ライフを「こう生きるべし」と設定する価値観。この現実世界、地球ライフは土星という目指すべき終着地点、「枠」があってはじめて自分の「型」が定まる。その型は最初から決まってるんじゃなくて、土星という外部にあるお手本がもとになってる。

 

外部の枠から自分の型へ、その切り替わりポイントがサターンリターンだと思うんだよね。土星回帰。両親や社会から学んだ型の取り方を見直して、今度は自分基準の型をこしらえる。そうやってオトナになる。

 

さてフロイトは、超自我を形成するための葛藤プロセスをエディプスコンプレックスと読んだ。お父さんと母の愛情をめぐる息子の葛藤として知られる心理用語。

これもフロイトの「性的欲求」と「攻撃性」が根本にあるという主張をバリバリに含む有名な説なんだけども、具体的なことばのイメージ(いやらしい気持ちとか、ムラムラしちゃう衝動だとか)で聞くから「えーー」ってなるんだわ。

抽象的に捉えてみると、なるほど確かにそういう構造で説明できそうだ!と思えてくる。

 

エディプスコンプレックスとそれを乗り越えるプロセスは、こう↓

1)異性親の愛情を独り占めにしたい幼少期

2)同性の親をライバル視

3)同性の親からの報復・処罰を恐れる

4)同性の親と自分と重ね合わせる(同一化・同一視)

 

これを占星術切りすると・・・

1)異性親の愛情を独り占めにしたい幼少期

1)は幼少期、月の時期のこと。地球ライフが始まってまず習得しなければ行けないのは、生き延びるチカラ。安全確保、安心できる状態をキープするために、自分の居場所を確保せねばならぬ。受け入れられること。存在を(生きていることを)認めてもらえること。

そして地球ライフを生きるエネルギーを確保するために、生命力タービンをまわしてレモン電池を発電させる術も学ばないといけない。そのために必要なのは、二種類の金属。私と、私とは別のあなた。

 

自分とは別種の他者、でいちばん基本的な組み合わせが異性

フロイトがいう人間の行動の原動力となる「性的欲求」ってやつを、生命力を発電するために他者を求める本能としてみると、単純に「抑圧されたやましい欲望」として読むよりおもしろくない?

 

私たちにとって最初に出会う(関係性を持つ)異性が、異性親(一般的なハナシね)だから、まずはここから他者との関わり方レッスンが始まる。

心理学とかセラピーを学んでいる人は、両親との関係性がいかにその人の人生観・世界観に影響を与えているかってことをようく知ってると思うんだけど。

他者ってのは、自分の外側の存在、「誰か」に限らず外部の世界そのものにも応用されるわけだから。他者とどう関わるか?自分は他者をどう見て、私はどう見られるのか。どう働きかけるべきか。この基本的価値観が、最初の他者、異性親からスタートする。

 

これって1ハウスと7ハウスだね。

自分という存在の現れ方、自分が世界をどう発見するのか。

自分は他者にどう見られるのか。どう世界と折り合いをつけて関わっていくのか。

 

7ハウスはコミュニケーションの天秤座のハウス、ルーラーは金星。1ハウスはむき出しの生命力の牡羊座、火星。やっぱり金星と火星だ!金星の快楽と、火星の攻撃性ってキーワードも注目ポイント。

 

2)同性の親をライバル視

そして生命力タービンをまわすための基本構造にのっとると、他者ってのは不特定多数じゃアカンのですわ。特定のパートナー、天秤の受け皿は両端にひとつづつ。

両親は既にペアになってるからね。異性親一人にたいして、同性の自分と親。どちらかがペアになればどちらかは余る。

 

私は別にお父さんと結ばれたいなんてこれっぽっちも思わなかった、とか、同性同士の両親を持つ子とか片親の子はどうなんのよ、なんて「具体レベル」のハナシでもないからね。あくまでも、抽象レベルのハナシです。

それにいのちの本能は無意識の世界、論理も理屈もへったくれもないってことをお忘れなく。自覚できない精神層の働きです。

 

3)同性の親からの報復・処罰を恐れる

これはペアリング対象を奪い合う対象として見てるってことかな。フロイトは確か去勢される恐怖って言ってたっけ?他の哲学者だっけ?

これも具体的に叱られるのが怖いとかそういうレベルじゃなくて、いのちをかけたペア争奪戦として見たときに、自分は相手を蹴落としたい(自分が勝者としてパートナーとペアをくみたい)=相手も同じように自分を蹴落としたいと考えているだろうって理屈。

 

ペア争奪戦からあぶれるってことは、性的欲求が成就しないってこと。性的欲求を満たすためのものが機能しなくなる=去勢、って表現になったんじゃないかな。

 

他者との関係性を得られないってのは、居場所を失うということ。

それは地球上で生きていくためには致命的に危険なこと。本能的に、いのちを脅かす存在として同性親は立ちはだかる。このあたり、まさにエディプス神話!

 

 

人は潜在的に恐怖を感じながら生きている。

 

 starship.hateblo.jp

 

潜在的な(無意識に沈みこんだ)恐怖。いのちの居場所を失う恐怖。恐れ(月)からスタートする地球ライフ。

 

 

ああ、そうか。

人はみんなマイナスからのスタートなんだ。

不安や恐怖からいのちが始まる。のほほんと安心しきって満ち足りた状態ではない。赤ちゃんってそうだよ。「助けて!(空腹、不快感、恐怖)」を必死に発信して、し続けて、それに対するフィードバックをもとに「安心」とか「心地よさ」を学んでいく。

 

占星術で0歳から始まる最初の天体が月なのは、そういうことだ。

月のキーワードは「安心」と「不安」両方あるけど、不安ありきの安心ってことだ。不安や不快感から地球ライフの最初の実感が始まって、そこから快適さだとか喜びを見いだしていく。

 

そう思うと、赤ちゃんとの関わりで大切なのはいかに脳や身体の発達を早く成長させるかじゃなく、いかに不快感や不安を取り除いて善のフィードバックを与えてあげるかってことになるな。

 

この世界は怖くない。

私は安心して生きることが許されている。

 

心地よさ、生きることを無条件に受け入れられる安心感を学ぶのが月の年齢域ってこと。

自分が生きることに「意味」も「条件」も不要。助けて!しか言えずに(それすら上手く伝えられないんだけど)眠ることも食べることも何もかも下手くそな赤ちゃんが、それでも「産まれてきてくれてありがとう」って迎え入れてもらう経験、これがいのちの土台になる。

 

※そうは言っても子どものお世話っちゅうのは、まぁ大変。いつもいつも菩薩のように微笑みのフィードバックなんて返してあげられませんよ、普通(笑)でもそれはまた別のハナシ。

 

4)同性の親と自分と重ね合わせる(同一化・同一視)

そして不安と葛藤を乗り越える最後のプロセスが、これ。

これはあれだな、土星だな。土星の枠組みを自分のものとして設定する。この枠が超自我のモラル感、価値観の基準値になる。

 

土星山羊座のルーラー。山羊座は目標を定めてそこに向かって動く性質を描くサイン。土星が示す基準値をもとに、それを(自分の欠けている部分を)満たすために行動を促す。

 

エディプスコンプレックスはこんな感じで、生きていく上で指針となる善なるもの、夢、理想(=木星)…そして守るべきルールやモラル、目指したい完成形(=土星)を見つけ出すっちゅう役割を果たす。

木星×土星の社会天体の組み合わせが超自我ハイヤーセルフってことだ。より軌道の大きい視野の自分

 

よくハイヤーセルフは本当の自分とかタマシイの真ん中の声、みたいな表現されてるのを見るけども、私はその「本当の自分」とか「自分軸」ってやつは中心には無いって考えてるから…

フロイトのいう超自我(ハイヤーセルフ)の位置づけがすこく面白く感じた。

 

中心を決めてそこから成長していくってのじゃなくて、層を重ねながら(それこそ太陽系の星々の軌道をなぞるように)自分の範囲を大きくしていって、結果的に内側にできる空間が中心になる、みたいな。

 

starship.hateblo.jp

 

人生を通して学び生長すること=自分の見ている世界の範囲、軌道を大きくしていくこと

その在住地点、目標地点である土星超自我に重ね合わされる(同一化)ってプロセス。

 

ちなみに土星の外のアウタープラネットは地球ライフの軌道の外として見る。もっと、何ていうか人力を超えたエネルギー。

 

土星って課題とか試練、困難ってキーワードで読まれてるけど、単純にヤな部分ってわけじゃない。火星もしかり。・・・いや、でもまだエディプスコンプレックスの葛藤の最中にいる人にとって土星的な存在って苦しいだけに思えるのかも。

 

自分の居場所を脅かす要素ってわけだし。それを取り込んで導き手として消化・吸収できるかどうか。特に土星回帰のあたりでそれを面と向かって問われるんだろうね。

 

まだ1章しか読んでないけど、読書メモが積もっていくからここでリリース!!

 

いくつかの記事に分ければいいのに、ベビーが腕のなかで寝てるうちに右手オンリーでちょこちょこ書き足してるうちに、こんな分量になっちまったい。

相変わらず、こんな長文いまどき誰が読むんだいってなもんで。

 

つづく・・・かな?!

【祈りと祝福】 物語を取り戻す 【鎮魂】

『持って生まれたもの、個性』というと、定まった固定的なものをイメージしてしまうけども、ホロスコープはもっと四次元的というか奥行きのある流動的な『生命力の質感』を記号化したもんなんじゃないかって思う。

 

私はそれを『物語』として読むのが好きなわけで。

生まれた瞬間に割り振られた『物語』を、その人がどう現実に反映させてどんなふうに味わうのか。

それは固定的なものにはなりえないし、トキと立ち位置、本人の選択する空間と時間座標の点によって変化し続ける。

 

空間と時間の点P、それが宇宙なわけで。

セカイと宇宙と断面図|珠楽(tamarack)とと子|note

 

そして彼女の詩のパフォーマンスを思い出した。

Sarah Kay: If I should have a daughter ... | TED Talk

 

「ガラス底ボートからのぞく人の心のなかにあるほんの小さな銀河」を、私は『物語』にする。

 

彼女がこのスピーチで「詩」と「表現」についてはなしているけど、それってつまり「コトバにされるためのコトバ」。

コトバで何かをしようっていう、目的を持った道具的なコトバじゃなく、ただ表されることそのものを目的とした純粋なコトバ。

 

君自身に還れ。自分の声を聴け。 - ことばのおもしろさ研究所

 

言葉は価値そのものでしょう - ことばのおもしろさ研究所

 

 

「名」を与えよ - STAR SHIP☆星読み航海図

 

自分の声(内側の世界)に耳を傾ける。

それは自分自身に還るということ。

それは自分を癒やすということ。

「汝、自身を癒せ」とバッチ博士が言ったように。

 

プラスの指標もマイナスの指標も含めて、流動的な自分の世界をそのまま真っすぐ受け入れること。

 

受け入れる、認める、ってのは、「肯定する」「賛成する」ってのとちょっと違う。

それがイイとかワルイとかでなく、ただ「見たママを描写する」ように落とし込んでいくってこと。

 

そうだ、内田樹せんせが「祝福」についていってたこと。

 

目にうつるそのままの姿を、そのままに描写すること。写生的に表現すること。それがスバラシイとかイダイだとか価値判断抜きにね。記述すればするほど、記述しきれない「ナニか」が浮かび上がる。そのコトバにできない尊い「ナニか」を伝えようと、コトバを尽くす。それが祝福なんだ、と。

 

ああ、もうこれってそのままホロスコープじゃない?

 

記述できない(情報じゃないから)尊くて愛おしいナニかを、記述する。

それは「ナニか」を限定するもんじゃないの。

 

逆だよ、限定しきれない無限の広がりを持つナニか(私という存在)を表現してるの。祝福してるんだよ。

 

祝福をアナタに//【宇宙からのギフトを読み解くプロジェクト】について - STAR SHIP☆星読み航海図

 

祝福は、祈りでもある。

祈りは「こうありますように」とか「こうだったらいいな」っていうお願い事と違うよ。

 

これは「全託の祈り」。

運命愛、Amor feti。

 

自分を信じて、世界を信じて、時と空間(=宇宙)の座標Pにいる自分を、宇宙そのものに委ねる姿勢。それが祈り。

 

宇宙を含めた自分の存在を肯定する姿勢。自分の物語を祝福する。

 

これぞ生命賛歌!!

そして祝福(祈り)はタマシイの浄化する、鎮魂の儀でもある。

 

「物語」を語ってもらうことで自分を取り戻し、鎮魂される小さきモノたちの物語↓

ちょっとメタな世界観、展開に『マギ』を思い出す…

 

 

「世界の始まり」にまで拡がるストーリーに、最後は目が回りそうだったな(笑)

 

2023年、もう占星術は「過去の趣味」になるやろうと言っておったけども、「物語」ってキーワードは相変わらず私の中でBinBin音を立てて回転しているようで。

あぁ、読みたいなぁ、と思いながら…

 

やっぱり

『この世界の全てが伏線』なんだな、と思う今日このごろです。

 

星をなぞる癒し※最後にプロジェクトのお知らせあるよ - STAR SHIP☆星読み航海図

どこに繋がっていくんだろうね。

鬼のいぬまに洗濯

赤子は朝のネンネタイム!!

今だーー!

 

このスキマ時間は睡眠に当てるべきなんだろうけど、どーしても今のうちにあれやりたいこれやりたい、とチョコチョコ手を出しちゃって、そのうちに鬼が目を覚ます…

その連続で一日が終わる(⁠ノ⁠*⁠0⁠*⁠)⁠ノ笑

 

妊婦してたときはブドウ糖がほぼ腹に送り届けられて脳の活動は生存最優先モードだったもんで、「思考」とか「学習」ってのは実は二の次案件なんやなぁ、と思った。

 

全くゴガクする気も占星術見る気も文章書く気も起きなかったからね。

 

思考が抜けると、逆説的だけど頭はクリアになってアイディアはいっぱい流れ込むんだなってことも体感。

ただ、そこで思考(言語化)するステップを踏まなけりゃ、浮かんでは消え浮かんでは消えるただの靄(もや)でしかないんだわ。

海王星は靄だね。

 

靄を自分につなぎとめるのは、個人天体とのアスペクト

私は海王星×水星コンジャンクションだから、言語化がいちばんしっくりくる。自動書記よろしくそのまま書き下ろす。

 

こういうふうに↓

セカイと宇宙と断面図|珠楽(tamarack)とと子|note

 

そんで今スキマ時間に読んでるのが、これ!

 

獅子座エネルギー満ちるYさんに教えてもらった小説がどれも面白そうで!!!

 

これは長崎が舞台!

遠い異国の地で長崎出身の人に会ったりなんだりな今日このごろ。小説に出てくる地名も懐かしいな〜〜

 

 

これも長崎、シーボルトと植物園のハナシのようだ!

 

植物ネタでこれも、すごく読みたい(もう買ってある)。

 

だってこのタイミングでKindleまとめ買いセールだもの…買わずしておれようか。

 

 

んで、同じく朝井まかてさんの別タイトル『雲上雲下』と、おすすめ本に出てきたこの本↓を今並行読みしております。

 

 

あの本と繋がってくるな!

BOOKCAFEそらふね『土と内臓』 - STAR SHIP☆星読み航海図

 

雲上雲下は、不思議な植物「草どん」と、草どんからほろほろと紡ぎ出される「物語」のハナシ。古風な語り口が、ツボ。

久々の読書に癒やされております。

 

明日はいよいよ満月ですか。

ということは、赤子は地球に降臨して2週間。ひとまずの落ち着き、そして成長のスパークを迎える時期です。

太陽系のリズムと地球を同期させる月のリズムに照らし合わせると、ふむ、さもありなん、って感じだな。

 

彼は今から月の年齢域を生きる。

それは地球のリズムに生命力を同期させるってこと。

 

長男イチくんは、次男と入れ違いに月の年齢域から水星の年齢域に以降する。彼もこの1、2年で何か変わった。

何が変わったって、身長とか知性とか物理的な変化もそうだけど、それ以上になにやら違う。見ている世界?まとっている世界観?

言語化できない「ナニカ」が切り替わってるんだろうなって思う。

 

私はといえばそろそろ火星の年齢域だね。

切り替わりのエネルギーシフトを感じ始める頃かしら。本人は気付かないのかも。変化ってのは、変化したあとに「変わった」って気がつくものだし。

 

成長、成熟もそうだよね。

ビフォアを超えてアフターに到達して初めて、成長やら成熟ってやつがそこに存在する。至るまでは、どうやってそこに至るのか、あとどれくらいなのか、そもそも自分は今成長してるのかどうかなんてわからない。

 

そんなとき、フィードバックをくれるのは「他者」。自分の内側に関する気付きをくれるのは他者(自分の外側の存在)なんだから、おもしろい。

 

よし、時間切れ!私の愛おしい小鬼ちゃんが目を覚ましそうだ(笑)