月の満ち欠けを基準にした旧暦(農暦)では、今日がお盆ですね。私の生まれた土地は新盆の7月にお墓参りをしていた気がするんですが、大地のリズム的には、満月に至るこの数日が「この世とあの世」を繋ぐ月の道が開通するタイミングなんですな。
せっかちな私は既にトイレのカレンダー(ファミレスでもろたやつ)を9月にめくってました。9月のコラム「月見どろぼう」。初めて聞いた風習。関東方面の文化かな?
お月見のこの日だけは、子どもたちはお供えした秋の実りを泥棒しちゃっていいそうですよ。だからわざと縁側の取りやすいところに置くんだとか。Trick or Treat、まるでハロウィン(^^)
ハロウィンも秋の豊穣の祈り、そして死者の弔い。
さて、月は未熟で愛すべき欠損・・・そして月は幻。月は夢。
夢見のワーク(HN9)も毎日続いてます。もともと夢はよく見るほうなんだけど、毎日記録したものを見返すと驚くね・・・。
今やっているHN9ワークは、「浄化であり鎮魂」なんだと始まった時から思っていたけど、これって呪いを解くために呪いの根源を直視するってことなのかもしれない。そしておそらくその根源ってやつが、月。
いろいろと「そうだそうだ!」と気付くこと出てきたタイミングで、肉体的な変化もあり。ちょっとビックリ。前回射手座の満月でグワッと体質が変化して、あれきりだったのが、今度は魚座の満月できたか・・・と(笑)
語学ブログのほうでまとめ記事を書こうと思ってたけど先にこっち視点でレビューするぞ、この本。
本書の本筋じゃないけど、脳波のハナシ。
リラックスしたときの脳はα波がウンタラ、とかは聞いたことがあると思う。β波は活動中(緊張やストレス)の脳波、ちょっと落ち着いたらα波、瞑想中はシータ波、深い眠りについているときはデルタ波。
でね、頭をフル回転させているβ波から・・・α波・・・シータ波・・・デルタ波・・・と頭(意識、思考)から遠ざかっていく。
意識、思考=MIND(マインド)って、コトバの集合体だよ。
コトバがほどけて、ゆるんで、バラバラになって・・・ぼーっとしたり(α波)、瞑想状態(シータ波)でヒラメキや直感がおりてきやすくなったり、幸福感に包まれたり(デルタ波)する。
これと月どう関係あるのって、なんと7歳までの子どもはシータ波が優位なんですって。確かに「コトバの世界が確立していない」段階なんだから、コトバで捉える思考・意識のチカラが弱いのはわかる。
7才までの子どもは、常に半分眠っているみたいな、まどろんだ世界観の中にいる。θ波は思考のフィルターが働きにくいから、なんでも吸収する。子どもの記憶力は言わずもがな、目の前にいる大人の価値観、世界観、そういう「コトバにしていない部分」も丸呑みするように写しとっていく。
子どもの「精神世界」を大切にしている教育者(哲学者?神秘主義者?)シュタイナーは、「7歳までは夢の中」と表現している。
月は鏡。虚ろな鏡。あの世とこの世の道筋・・・ほら、お盆の門が開くでしょ。「虚ろ」が悪いこと、とは思っていない。夢見のチカラ、インスピレーション、神秘的な力を闇雲に怖がったりあがめたりしたくもない。
ただ、うつろ船のごとく、海の波間にただよう丸い鏡。
海は「無意識」の象徴で、これまた月と深い関係にある。
夢との関係も、解き明かせるだろうか。
コッチの世界はユラユラ動く「影」で、実体はムコウ側にある。この考えは、やっぱり変わらない。実体にどう光を当てるかで、影のかたちが変わるだけ。その実体部分を見るのがホロスコープ。
結局私たちは五感でとらえられる世界しかキャッチできてないわけで。
ごくごくまれに第六感なるものを持つ人もいるらしいんだけど。
私にはさっぱりその才能はないと思われますので
こうやって妄想してひとりさみしくなったりするのです。
ときどき、変人。ときどきね。
五感でキャッチできる世界ってのは非常にあやふやで、
それなのに今この世界が全てで、確固たるものなんだ、って
思い込んでしまいがちなんだ。
もしかして、もしかしての話、
本当は確固たる何かが世界にはあるのかもしれない。
それでも私たちはその何かの影しか見えてないんじゃないか、って。
そんな風に思う。
(2013.5の日記より)
正しく強く生きるとは銀河系を自らのなかに意識してそれに応じていくこと
(2011.1の日記より)
そうそう、最近思い立ってアクアリウム(水草水槽)をつくりはじめたよ。苔の小瓶をふたつと、大きな水槽。
水槽は水質が落ち着いたらちっちゃなエビとか生き物も飼いたい。小瓶にはダイジにしまってある水晶をぶちこんで、ちいさなラピュタをつくるよ!