ワタシらしさという「演技」

岡田せんせの人生相談のなかで、「恋愛は演技!」ってハナシがあってさ。

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それって獅子座のことだわ~!って思ったので、メモメモ。

ちょうど、来週の新月獅子座

 

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獅子座ってのは、演技力のサインだと思うのですよ。

百獣の王レオは「オレ様が主人公」ってキャラで描かれるでしょ。「主人公」ってことは、なにかしらのストーリーを持っておいて、そこに自分を「主人公」の位置に当てはめてるってこと。つまり、主人公を演じているってこと!

 

星占いで獅子座の人はこういう性格です、って意味じゃないよ。

 

西洋占星術的に見れば、どんな人にも獅子座要素はある。それが強調されていたり弱かったり、素直に受け取れなかったり様々なだけで。

 

獅子座ってのは蟹座から生まれるサイン。

蟹座は「ワレワレ」という共同体のカテゴリー。蟹座は水のサイン。水は一滴一滴に差異は無い。あったとしても、それを一色に統一しようってのが蟹座ね。

 

その一滴が、「主人公」という演技を通して「自我」を育てていくのが獅子座ステージ。主人公ってのは、物語を「私の目から見た世界」として切り取る。私目線を確立する、自我を大きくしていく。

 

「自我」はエゴのこと。

エゴと言うとなんだかワガママだとかケツの穴のちっちぇえやつだとかって人に使われるコトバのイメージなんだけど占星術ではエゴはその人が生命力を発揮するために重要なファクターとして扱われておるんです。

 

「個」とか「自立」をヨキものとする西洋的な価値観が影響してるのかもしれんね。

 

でも東洋的な価値観で「自我」がよろしくないものかっていうと、そういうもんでも無さそう。仏教では個への執着はブッブーだけど、それは「自我が小さいから」と表現している。

 

自我を大きくしていく(より広い範囲の世界を自分ごととして捉える) ことで、「大我」とか「ハイヤーセルフ」の世界観を体得するってイメージ。

 

 

そのイメージでうまいこと書いてる本があった!

これね、精神論じゃなくて 具体的な「量」として意識することで、生きやすさを格段にアップできるじゃないか、ってハナシ。視野が広くなる、気が利く、人に好かれる、人の役に立つ、仕事がデキル・・・などなど、結果的にそうなる。

 

 

自我の「拡大」と言うと蟹座の方向性、世界観になるかなぁ。

獅子座はその自我の中心点を定めようとしているイメージだろうか。

 

どこに「主人公」を据えるか。

それが占星術の太陽、獅子座の支配星の示すところ。

 

最初っから「カンペキなオリジナル」なんて、ないんですよ。そりゃ、唯一無二であることは否定しない。でも唯一無二であることを確信するには、他との「差異」がどこにあるのかが必要になる。

 

ちなみにこの「唯一無二」VS「他者との比較」の掛け合いは、1ハウス/牡羊座VS7ハウス/天秤座を結ぶラインのこと。

 

ワタシはワタシ=ワタシはアナタではない

を語るのがこのライン。 

 

自分じゃない誰かの存在があるから、浮き彫りになって見えてくる「自分」という存在が1ハウス。こっからここまでがジブンで、こっから向こうが自分の外にあるんだゾっていう線引き、輪郭。

だからDscが正面にある。

 

自分以外の存在がいなければ、そこに自分もいない

この自分の存在と他人の存在を繋ぐラインってのは、存在の根拠を与え合うライン

 

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じゃあ獅子座の自我、オリジナリティ、アイデンティティはなんなんだ、ってところに戻る。それは演技なんじゃないか、って私は思う。

 

 「私はこう生きる」と想う自分の姿を、自分で演じる。

それは無意識の海(=4ハウス、蟹座の世界)から飛び出すこと。

 

鏡で完全コピー(=月)して、したつもりで、それでも「はみだしてる」部分に気付くこと。そこに「個性」を見つけて、その種を発芽させること。

 

ジオセントリックと言われる占星術のこのチャート、地動説の世界が描かれているわけです。外から見れば地球は太陽の周りをまわってる天体の一つなんだけど、ワレワレは動く太陽を見上げている。

 

太陽は、ほんとは自分自身じゃない。

見ているワレワレは地球にいるから。でもそこに「自分らしさ」を見出して、地球であるワレワレが太陽を自分の姿として演じる

 

植物が芽を伸ばす方向。火が昇る方向。

憧れ、意欲、目的意識。

 

それは夜眠っている時(=無意識)には見えていなかったもの。

 

 

演技、演じるというコトバは英語でPlay。

音楽もPlay、遊ぶこともPlay。スポーツも。

 

表現して、楽しむこと。5ハウスの領域を言い表してるね、まさに。

そして5ハウスには「恋愛」って意味もある。

 

恋愛は演劇!

 

シチュエーションが決まってて、それを演じているわけだからね。彼女と言う役割を自分なりに表現して楽しむのが、恋愛。

 

恥ずかしがらずに楽しむコツは、役にはまり込むこと(笑)

 

5ハウスの楽しみは「我を忘れて」没頭することで、「我の生命力」がグンと高まることなんだよね。

 

『作品が素晴らしいほど、われわれはそこに没入し、「我を忘れる」体験をし、再び我にかえるときにその体験を吸収してゆく』

 

 

臨床心理学者の河合先生は、「我を忘れる」体験が自分を成長させる肥やしになる、と言う。

ただし、「我を忘れる」ことは、怖いこと。自分を投げ出しても「大丈夫よ」と抱きとめてもらう経験を持っていない人は、「我を忘れる」体験を自分のものにすることができない。

この抱きとめてもらう経験(安心感)ってのは、月が管轄してるの。この満月図、月のコンディションでピックアップする世界が全く違うものになりそうだ。

 

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満月図リーディングで書いたけど、我を忘れて・・・我の中心点にとことん集中して没頭することが、5ハウスの「恋愛」や「遊び」「演劇」なんだと思うな。

 

ひとつ手前の蟹座の世界で、4ハウスで、しっかりと「私の居場所はちゃんとある」と月を満たせているから、安心して我を忘れて、そして帰ってくることができる。

 

 

それから、遊びというPlay。

 「あそび」の定義

▶ 手段ではなく目的

遊びは何かメリットを求めた手段ではなく、それ自体が目的で、遊ぶために遊ぶから遊びなんだってこと。

▶ 始めるのも終わるのも本人の意志(自発性)

誰かに強制されるものじゃなく、やりたいと思うからやって、やめたいと思うときにやめる自由がある。

▶ 時間と空間から切り離されている(非現実性)

遊びの世界ってのは、ある意味パラレルワールド

▶ 結果が決まっていない(不確実性)

予定調和的な結果に向かうだけだったら、遊びじゃない。

▶ ルールがある(構造がある、制限の中での自由)

遊びは自由を楽しむのと同時に、ルール(制限)を楽しむこと。

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 それ自体を楽しむんだよ。メリットとか効率とか結果どうこうじゃないの。

 

 

ああ、そうだ。

ワタシらしさという演技、これは月もそう。でも月と太陽で徹底的に違うのは、太陽は月からは見えなかった「明日」を見てるってこと。明るい、日。朝。

 

 月は「過去」です。夜です。

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もちろん、夜(過去)が自分を育む場で、大切だってことは大前提。

 

皆さんが失敗したり、敗北したり、悲嘆にくれたり、

暗がりに包まれたりした時、暗闇こそあなたの国、

あなたが生活し、攻撃したり勝利を収めるべき戦争のないところ、

しかし未来が存在するところなのだということを思い出してほしいのです。

私たちのルーツは暗闇の中にあります。

大地が私たちの国なのです。

どうして私たちは祝福を求めて、仰いだりしたのでしょう

周囲や足元を見るのではなく?

私たちの抱いている希望はそこに横たわっています。

ぐるぐる旋回するスパイの目や平気でいっぱいの空にではなく、

私たちが見下ろしてきた地面の中にあるのです。

上からではなく下から。目をくらませる明かりの中ではなく

栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。

 

 

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現実ってのは「つじつまのあった作り話(演劇)」で、夢の世界が目を背けていた「抑圧されている生の現実」なんじゃない?って発想。

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そうそう、現実(自我)と夢(無意識)を行ったり来たりどんぶらこっこ、で人は生きているんだと思うよ。

 

起きてる間は演技を精一杯楽しめばいいし、闇に癒されて眠って起きてを繰り返せばいい。起きっぱなしは、精神に異常きたすもんね(笑)