今朝こちらの過去記事にね、コメントをいただきまして!
獅子座も天秤座もちゃんと自分の好みというものが有り、周りの目を気にするばかりのファッションなんてしないですよ?
月さん、コメントありがとうございます!
このコメントによると、私が↑の記事上で
・獅子座、天秤座は周りの目を気にするばかりのファッション
・獅子座、天秤座には自分の好みがない
という意見を述べていて、それに対して「そんなことはない」と指摘してくれている、ってことですな!
「獅子座/天秤座は自分の好みがない」とか「周りの目を気にするばかりのファッションをしている」と書いたことあったかな??!と大層ぎょっとしたので、読み直してようって思って。
だってこの考え方って、私の遊び方と正反対だから。。。
私は「〇〇座はXXXです」という直線型の思考がキライなので、性格にせよ外見にせよそういう考え方は採用しておらんのです。
占いは因果律(原因→結果)でも、平均思考(カテゴリー→個人)でも掬いきれないナニカを捉えようって手段であって、「比喩のカタマリ」というか「波紋の連続」を読んでいるようなイメージで。
ニンゲンの脳のしくみ的に「そのままの意味(直線ではない繋がり)を捉えること」はむずかしいんだけど、占星術やら占いの「術」ってのは、そういう世界のありのままのつながりを意識するきっかけ(練習)になるんでないかな。
そりゃどうしても、ニンゲンの脳の構造上、表現も理解も「こう→だから→こう」とせざるをえないのがもどかしいんだけど。
このへん、かなりシツコク書いてるのがこのブログ(笑)
だけど、ブログ見つけて読んでくれる人って、たまたま行き当たった記事を読んでくれてるだけだからそんな背景とかカンケーないもんなぁ…(´・ω・`)
この世はオマージュの重ね合わせ、比喩の連続で出来ている、ってのがベースにあって、その波紋の干渉具合だとかスケールのピント調整をしていくのが占星術ね。私は、そういう遊び方をしてる。
これもその延長線上でおふざけしてた記事なんだけど、もしや「獅子座/天秤座は自分の好みがない」とか「周りの目を気にするばかりのファッションをしている」と書いていたのだろうか?!
もし書いてたら、訂正して、訂正したことも記事に残しておこう!と思って読み直す前にもうコレを書き始めている。
もちろん私は
・獅子座、天秤座は周りの目を気にするばかりのファッション
・獅子座、天秤座には自分の好みがない
とは全く思ってなく、獅子座の人はこういう性格です、とか、天秤座のファッションはうんたらかんたら系の「占い」はそんなに興味ないのです。むしろ「・・・」って思っちゃうほう。
12星座って一人のニンゲンのなかに含まれてる要素(アーキタイプってやつ)を分類したもので、そのひとそのものを分類するもんじゃないって考え。
で、問題の文章は多分ここ!!!
現行の空模様に配置されている冥王星は山羊座だから、かなり目立つ装飾がされてそうだ!その目立ち方も獅子座とか天秤座の周囲の目を意識した派手さじゃなくて、積み上げてきたものの重みとか力を秘めた重厚な存在感・・・五重塔とか乗せてる装甲車・・・
そうかこれを「ファッション」として読んでいただいてたのか!と発見。なるほど、ブルドーザーの車体デザイン=ファッションにも応用できるもんな。
んで「獅子座とか天秤座の周囲の目を意識した派手さ」ってところ。
自分がウケようと思ったネタの解説するのって、ただスベる以上に心がイタイんだけど(笑)分かりにくかったかぁ、としょんぼりしながらまたクドクドと説明書きをここに残しておこうと思います◎
まずこれは個人の性格やファッションにストレートに当てはめたものじゃないってこと。
サインや天体の持つ「象意」を、現実世界でイメージできるブツに置き換えると?っていう連想ゲーム的なあそびです。
そんでもって、ここで出てくる「周囲の目を意識した」って部分。
これが月さんの言う「周りの目を気にする」になったんだね。
月さんは「周りの目を気にする」ことにネガティブな印象をもってらっしゃるのかな?
そんでもって「周りの目を気にする」ことがイコール「自分の好みが確立していない」に繋がっている、と。
そうか、そういう人もいるかもしれない。
でもそうじゃない人もいるよね!
例えば文章を書くときに、「こうすれば分かりやすいかな」とか「こういう書き方はどんな印象を持たれるだろうか」って考えることは周りの目をちゃんと意識している。
でもそうやって文章を書く人に「自分の文章スタイルがない」かというと、そんなことはないわけで。
ファッションとか好みもそうじゃないかな?
この配色は暑苦しいかな、とか、このシチュエーションにはこのアクセサリーが合うな!とか、それも周囲の目を意識している。周りと自分の関係性っていう視点から判断するってこと。
そこにだって、立派に「自分の好み」が反映されている。
それからこの文章は、「獅子座や天秤座が派手」だと言っているわけじゃないってこと。「例えば”派手な装甲”という例えを出すならば、その”派手”って表現のニュアンスは・・・」と比較対象として出したかったの。
月さんは、私のここらへんの表現にモヤッ(もしくはイラッ)(もしくは正してやらねば)となったんだと推測。あと、「表現」「周囲の目に対する意識」に関して思うところあるのかな?と。
それにしても・・・、表現ってムズカシイですな!
思っていることと違うどころか、正反対の意味にとられてしまうことも多々!このへんは、ただしょんぼりしてても改善できないから、一生懸命こりこり書きながら研鑽していくしかないね。
月さん、言葉にして伝えてくれてありがとう!!
★伝えるムズカシサにうごうご懊悩している恥ずかしい過去記事
他人の手に渡ると、思ったような方向には行かないことがほとんど。誤解されたり、反論されたり、間違いを指摘して訂正されることもある。予想外の「ねじれ」が起こる。
でも・・・
その予想外の「ねじれ」も肯定する姿勢が学術や研究には必要なんじゃないか。
この「ねじれ」を受け入れて託すことが、現状を前に向かわせる「希望」になる。例え「永久に未完成の海を漂い続ける悲劇」になろうとも、間違いを永久の正解だと信じ込むよりマシでは?
これとか、感想もらって「え!!逆!」って焦った例。
ギャップがあるからこそ「やりとり」に意味があるんだよね。だから、楽しい。
あ、でも通りすがりにイラッとかモヤッとした感情をツバみたいに吐き捨てていかれると「やりとり」は成立しないから、楽しくもなんともないんだけど(笑)お互い不快なだけ。月さんはそんな人じゃないと思う(願う)!
★言語(ゲーム)であってそれ以下でも以上でもない
だからほら、心理学をかじった人とかカウンセラーしてる人でよくあるんだけど・・・その特定のフレームに合わせて「診断」してこようとするじゃないの。 (個人的にはこれがほんまキライ・笑)
どうしても、私たちってそういった全体像や結果(カテゴリー)を元に個々人を判断しようとしちゃうじゃん。個人を全体側、カテゴリーとかシステムの方に合わせようとする。
でも冷静に考えてみると、カテゴリーってのは、全体像を把握するためのものであって、個人の判断に用いるのはちゃんちゃらオカシイんだよ。
~中略~
心理学のカテゴリーにその人をあてはめるんじゃない。もちろんカテゴリーに関する知識をしっかりと持った上で、だけど。
占星術も、しかり。
だと思うんだよなぁ。
「この人は火星が牡羊座だから、攻撃的なのよ」とか「私は太陽が4ハウスにあるから家にいたほうがいいの」とか、いやそこまで単純化してる人はまともに占星術してる人はいないかもしれないけど・・・
でも、やっぱり(一般的な占星術の)ベースとなっているのが、カテゴリー(フレーム)に個々人を当てはめようとしている視点だと思うんだよなぁ。
占星術とか占いを「好きです」っていまだに気持ちよく言えないのは、こういうことをまだ感じるからなんだよなぁ。これも立派なステレオタイプだけどね。(笑)
ブログを通して出会ったステキなひとたちのおかげで、このやっかいなステレオタイプもほどけていってる。そういう人もいるってだけで、そうじゃない人もいる。当たり前すぎるくらい当たり前だけど。
なんかさ・・・
ここまで書いて思ったけど
この記事って、不本意なコメントにねちねち言い訳してるみたいじゃない、私?!!
やだーーみっともない🤣🤣🤣
意識の上では「読んでもらえなくても全然かまへん」「月さんの解釈を訂正したいわけじゃなくて、ひとり反省会を書いてるだけどす」なんだけど・・・
たくさんのコトバで説明するってことは、相手を信頼してないのかもね。プラス「理屈をわかってほしい」願望よ。。。コンプレックスさらけ出して恥ずかしい(*ノωノ)
もともと恥ずかしい(*ノωノ)ブログだからね。
みっともないまま、公開しちゃおう。
コトバ・コンプレックス。